2012年5月21日 (月)

Yogaって一体なに?? 経典『バガヴァッドギーター』からYogaを知ろう。

経典がいうYogaとは?

先週、2か月ぶりのブログ更新で勢い余って、

「Yogaは宗教じゃない! 
けして怪しいものではござらぬよっ!」

といいいきってしまいましたインドの某mさん。


♨☻☺


「一体何を根拠にそんなことをいうのか?」

「その強気発言を裏付ける何かがあるのかね?  ん?」

と迫られた場合に備え、

今日は
 Yoga=Not宗教、
Yogaは宗教活動じゃない論
Yogaカルト説をパッツリ否定するべく、

『バガヴァッドギーター』というYogaに関する経典を紐解きながら見てみましょうね。

『バガヴァッドギーター』という、インドに限らず、世界中でよく知られているYoga的経典は
Yogaに関してこんな風に規定している。

『バガヴァッドギーター』2章詩篇48

योगस्थः कुरु कर्माणि सङ्गं त्यक्त्वा धनंजय।
सिद्ध्यसिद्ध्योः समो भूत्वा समत्वं योग उच्यते॥२-४८॥

Yogastha kuru karmANi saGgam tyaktvA dhanamjayA|
Siddyasiddyou samo bhUtvA samatvam yoga uccyate||


アルジュナ君!

キミの心にある「好きとか嫌い」という感情に囚われる事なく、
今まさに世界から自分に与えられていること、それを自分の使命だと受け止め、
常にキミのすべき行いをするのだ!


その自覚をしっかりもって、為すべき事と向き合い、日々の行いをこなすこと。

しなければならないことは、抵抗なく、不満なく、迷いなく、逃げることなくただ行う。


その態度で行いをすることがYogaだ。


さらに、


そうやって行いをしたことによって、もたらされる結果に関してもYogaの態度が必要だ。

結果は、

自分の期待どおりのことが起こるかもしれないし、それ以上の事が起こるかもしれない。

逆に期待はずれのことや、正反対の事が起こる可能性もある。


しかし、どんなことが結果としてキミにもたらされたとしても、
反発したり、憎んだり、抗うことなく、

世界から贈られてきたものだとして、しっかり受け止めることだ。

こんな風に大きく世界から突き付けられる物事を受け止めることができる態度もまたYogaといわれるのだよ。

Arjuna, perform your duties established in Yoga, renouncing attachment, and eventempered in success and failure; envenness of temper is called yoga.(48)



私たちは毎日やるべき事に追われて毎日を過ごしている。
この”為すべき事“は
必ずしも、行いを自分の意志できめているわけではない。

常に世界が今、この場所で、“為すべきこと”を突きつけてくる。

何をするべきか?
それは世界が必要に応じて、絶妙なタイミングで毎瞬私たちに課題として与えてくれている。


それに対して、私たちは課題をこなす様に、すべきことを逃げずにする!
という行いを世界に送り返す。

そうやって私たちは世界と繋がり、どんな瞬間も世界とコミュニケートしている。


この事実を受け止める事。


主観に基づいて

「好きなことだからする!」
「嫌いなことだからやらない」

といって、
行いを選り好みして、客観的な世界とのやり取りにおいて混乱しないように。


好き、嫌いという
感情や主観を肥大させることがないようにする。


「今ここで、自分がするべきことをまっすぐにする。」

という態度で感情や主観にしばられることなく行いをすること。

世界から突き付けられていることを認め、受け止め、
行いをもって世界に応える。

その態度に世界は反応し、
それぞれの行いの結果をもたらす。

この結果も、必然として世界から自分に贈られてきたものとして受け止める。

その態度を経典は、Yogaというのだ。


行いの結果はどれも自分のしたことだけが実を結んでいるという事実を知り、

冷静に、客観的に、抗うことなくうけとめること。


抵抗せず、感情に揺さぶられず、
好き嫌いという主観の間をウロウロせず、
ただただ大きく受け止める。


“受け止めることができる”

という心の大きさ、キャパシティーを養う事もYogaである、と経典はいっている。



行いをYogaにすること、
毎日Yogaの態度で生
きていくこと、

そうすることで、

私たちは心を縛る不自由な思いや、

浮き沈みや不満、憎しみ、妬み、怒りといった感情を浄化することができる。


Yogaに生きることが、
私たちを成長させる。

Yogaの態度を常に持ち自覚的に行いをすることが、
心をキレイにし、
大きく広い心と、
人間的な成熟と客観性を養う。

やがて世界が何を突きつけてこようと、
私たちは揺さぶられたり、悩ませられたりすることはなくなる。

悲しみや苦悩を起こしている視野の狭い、閉ざされた主観やこだわりが
Yogaによって整理され、
浄化され、

だから
いつもさっぱりと、開けた明るい心でいることができるのだ。

それこそがYogaの力。

そうして、私たちは常にどんな時も、
自分と世界を理解し、納得し、
リラックスする事ができるようになる。

客観的な考えと、謙虚さと、
どんなことに対しても、抵抗したり、心を荒れ狂わせる事のなく、
落ち着いた態度でいることができる。

そしてそういう自分に自信をもち、堂々と望む態度で世界に生きることができるようになる。

世界にしっかり生きながら、世界に囚われない。
世界と関わりながら、世界に縛られない。

そこまで強く自由でいることができる。

あるべきことだけが、今ここで起こっている。


自分に必要なことだけを世界は常に与え、

自分は世界に応えている。

ただそれだけ。


世界の事実を受け止め、受け入れることがYogaであるのだ。

__________そして、これは、来週へ続くのです~_________

ところで、

日本は今、明日5月21日の日食のことで、すごいことになっているらしい!!?

という噂を

遥か遠いインドの山奥で小耳にはさみましたよ。

日食月食がやたらに多いインド大陸ですが、

今回珍しく、インドからは見えませぬ。

というわけで、明日も淡々と勉強の日々が続くのでしょう私の場合。


129年ぶりの自然現象をどうか私の分も、
見届けてくださいまし。


Photo


目にお気をつけて。

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2012年5月14日 (月)

Yogaは宗教じゃない!

Yogaについてよく聞かれる質問の1つに、

「Yogaは宗教なんですか?」

ということがある。


今日はこの辺りのデリケートで、ビミョー&それでいてスリリングでもある所に、
あえて触れてみたい。

一体何をもってYogaを“宗教”とするのか“非宗教”とするのか?
線を引くのは、たぶんそれぞれいろんな考えがあると思う。

いろんな背景や心情や状況がきっとゴニョゴニョと、
難しい感じであるのだろう。

でも今はそれをどっかに一先ずおいといて・・


まずは、自分が今好きでしているYogaに対して
1ミリの疑惑もなく堂々と楽しく続けられるようにちゃんと理解したい。

そして、自分と関わる周りの人達に、Yogaをしている自分に対する不安や心配や疑問を取り除いてもらいたい。


Yogaをしている自分を思いっきり肯定するために

“Yoga=あやしい宗教説”

を否定してしまいたいのだ。

「自分がしているYogaは、ひょっとして宗教活動??」

「瞑想なんてして、マントラ唱えて、
あんなポーズもこんなポーズもして、
もしかして、気づかぬうちに私はだいぶ怪しくなっている?」


こんな疑問を取り払ってしまおう。

そして、自分が選んで続けていることに誇りと自信を持つ。

「もし自分が今健康のためにしているYogaがいわゆる“宗教”だったらなんかヤダよなー。」

と思う方や、


自分が今夢中になってしているYogaを、Yogaをしていない家族や友達に伝える時に、

「最終的にYogaって、宗教みたいなもんなんで・・」

みたいなことを口走って、不必要な誤解を受けないように。

自分と関わる人に、いらない心配をさせないように。

Yogaに妙な不信感を抱いて、投げ出したり諦めてしまわないように。

そのためにも、今日はあえてここをはっきりさせたい。


そう、改めてはっきりいいますが、

Yogaは宗教じゃない!!

Yogaは、宗教活動でも、カルトでもなんでもない!

体であやしい動きはたまにしてしまうし、
鼻息も荒くなることもあるけど、

本来のYogaの目的は怪しくも危険でもない!


…だから皆さんご心配なく・・
といことがいいたいのですよ。

・・・・・・・


「ホホゥ?  では、Yogaとは何かね?」

と、もし聞かれたら、こう答えようと思っている。


「Yogaは己を知る道だ。」

と。



「自分自身が何者であるかを知り、本当に望むこと、自由に幸せになる術である。」

と。

もっともっと簡単にいえば、肉体・精神・過去のカルマなどの束縛からの自由。

それは、真の己を知り、理解することで唯一可能になると、Yogaの国インドにおける経典、聖典が口を揃えて言っている。


Yogaは、
体を強く、健康にして(肉体の自由)

心の不満や、捕われを取り除く。


悩みや悲しみから人を解放し、本来の明るい自分を取り戻すこと(精神の自由)


そうして、

今“自分自身である。”

という事実に納得し、自由になること。(束縛からの自由)

それが、『ヴェーダ(聖典)』や『YogaSutra(ヨーガスートラ)』、『バガヴァッドギーター』などのYoga経典のヴィジョンだ。

自分を理解し、納得することが、なぜ自由であり、幸せであることになるのか?

その疑問に対しては、聖典はこういっている。


“人は自分自身の事実を知らずに、誤解している。

目に見えるものだけを信じ、それだけが自分自身だと思いこんでいる。

体や心という限りあるものが自分の事実だと思い、限界を感じ、不安や疑問を覚え、

自分を世界の中で小さく頼りないものだと勝手に決め込んでいる。

そして、悩み苦しみ、悲しんでいる。

しかし、事実はそうではない。

人の真実は、その人が思っている以上のものだ。

あらゆる大きなものより大きく、小さきものより小さく、けして終わることのない純粋な“存在”。

恐れなく、悲しみなく、苦悩もない、すべての時と場所に満ちる“意識”。

全体であり、何の束縛も受けない自由。

喜びの経験の中の“喜び”、満ち足りているということ、“安心、寛ぎ”ということ意味。

それが人の本当の姿なのだ。
己の無知から勘違いをして、1人勝手に悩んではいけない。“


私たちは、もし今ここにある自分自身、自分であることに心から納得がいっていて、
自分である、ということだけで幸せだと知っているなら
何かその他に欲しいものなんてあるだろうか?

自分以外の何かに、幸せや自由であることを頼ったり、探したりする必要があるのだろうか?

たぶん、ない。
 いやいや、絶対にない!
(ない、ったらない!)

なぜなら、私たちは
幸せだな、と感じたり、
満たされているなぁ~と思ったり、
自由だー!
と知っている時、他に何も欲しいと思わない・


たとえもし
「なんか足らん、何かプラスする必要があるに違いない」
と思っていたら
それは初めから、幸せでも満ちているという事でも、自由でもない。


聖典は、何も足さなくてもいい満足、
何からも逃げたり、否定したりする必要もない自由こそが私たちの真実であるという。

このヴィジョンを理解する術、生き方がYogaだ、という。


Yogaは、
自分自身の事実は何か?
自分とは一体何者なのか?

というシンプルにして深遠な探求を、
毎日沢山の人々と関わり、普通に自然に生きながら、突きつめていく道。

そして、その答えを知り、
納得することで、
自分自身を受け入れ、自分自身に何の違和感もなく寛いでいるための生き方。


「自分がいる。自分である。」
ということの意味を知り、己に満足しきること。

広く大きな心で
すべてを受け入れ、
すべてに納得する究極のリラックス方法


「今、自分がいる。今ここに生きている。
どんな時も、何処にいてもいつも変わらぬ自分が在る。」
ということを理解するための道なのだ。

そうして、

不安も悲しみも、欲望も渇きも、嫉妬も憎しみも怒りも、

すべて自分自身の真実のに放たれ、あらゆる苦悩は、その意味と形を失う。

足りないものなど何もない。
恐れるものなど何もない。

そういう自分自身の真実を知る術がYogaなのだ。


究極の自由。
究極の安心。
絶対的な寛ぎ。

それは、自分自分を知ることで唯一達成される。

本当に望む自由に達し、幸せになる生き方がYoga。


だから、
Yogaは、盲目的に何かを信じ込んだり、崇拝したり、自分を型に嵌めることではない。

なんかの呪いごとの類でもない。

Yogaは信じるものではない。


今ある自分を受け入れ、理解することなのだ。


具体的に、

まずは体のレベルで自分をケアし、理解し、受け入れる。

そして、呼吸や内なる生理的な機能を扱う。

次に感覚。

心。

考え。

自分である、ということの意味を徹底的に理解する。


Yogaの聖典や自由を知った賢者たちの知恵によって、何が本当の自分自身なのかを客観的に見てゆく。
そのプロセスがYogaなのだ。

自分を知り、


自分を受け入れ、
自分を受け入れているからこそ
世界を受け止めることができる。

自分を大切にし、
労わり、ケアし、
日々の生活の中で自分を大事に成長させていくことができる。

強く、広く、それでいて謙虚な心を養っていくことができる。

それこそがYogaという生きる道。


だから、Yogaは宗教じゃない!!

安心して、好きなYogaを続けていけばいい。


そして、私たちが本当に望んでいる何にも頼らないでいい自由、
いつも明るく、幸せであること。


満ちているということ、

寛いでいるということ、


恐れがなく、自分も世界も拒まない。
すべてに納得し、抗わない。
受け入れているということ。
それらが自分自身の本当の姿だという理解にいつかたどり着く。

その時まで、私達はYogaを続けることができる。

自分を思い、自分を大切にし、磨き、成長し、
己の事実を完璧に受け入れるための道がYoga。


だからYogaは、宗教じゃない。
単純に信じることじゃない。

客観的な事実を、深く理解すること。

この己を知る道は、必ず私たちが本当に望むことに繋がっている。

だから、

何も心配せず、自信を持って、このYogaという道を歩いていこう。


**************
さてさて、

Yogaは宗教じゃない、
カルトでもない。


聖典に基づいた事実を知ることによって、自分を解放すること。
それがYoga。

自分を大事にし、考え、成長させることのすべてがYoga。
だから、一先ず安心してくださいな。

来週はYogaの知恵をもたらす経典の1つ『バガヴァッドギーター』に照らし合わせて、

Yoga =Not宗教

ということをみてみましょう。

「インドの某Mさんは、Yogaは宗教じゃない!

って、ブログで強気に断言したけど、
じゃ、Yogaって本当は何?

経典はYogaについて何と言っているのか?

まさか宗教?

信じろ!拝め!神のために何もかも捨てるべしっ!
なんて、言っているのかなぁ?

実際インドで多くの「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者、達人)」たちに読まれている超有名なYogaの経典は、何が一体Yogaだといっているのだろう??」

というところをばっちり確認してみたいですね。

Yogaについて、経典にはヴィジョンがあり、定義もはっきりしているので曖昧さはゼロ。

その辺りを『バガヴァッドギーター』の詩を引用しながら、一緒に確認していきましょう。


***

ラストのブログ更新から早一ヶ月半。

その間いろいろありまして・・・

なかなか次の記事が書けずにおりました。。すみませぬ。

なんといってもインドの山奥で生きのびていくためには、越えねばならぬ試練も少なからずあるものでして・・・。

いやはや。
いきさつは、またいつぞやの機会に


やっと最近肉体、精神の強さをとりもどし、めでたく復活!

不死鳥のように黄泉がえり、またドダバダと羽ばたきますので、
どうぞ宜しくお願いします。


しかし、前回宣言した


『カタ・ウパニシャッドकठोपनिषद्』の訳については、現在も引き続き思案中。

なので、このYoga的考察が終わったら、ぼちぼち始めることにいたしましょう~
Cimg1788


↑ 先日お寺でいただいた蓮の花。

蓮の名はの中には、ちゃんと、レンコンみたいなめしべがあるんだなぁ~

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2012年3月19日 (月)

罪を滅ぼし、迷いのなく生きるためにできること。Yoga的祈りと「プージャपूज(儀式)」


現在勉強している『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』の1つ

『タイティリーヤ・ウパニシャッドतैत्तिरीयोपनिषत्』
には
『ヴェーダ(聖典)』が記されている言葉であるサンスクリット語、そしてマントラに関して、興味深いことが記されているのでお伝えいたします!

それよると、『ヴェーダ(聖典)』に記されたサンスクリット語の「マントラमन्त्र(聖句)」を唱え、瞑想し
日々己を磨き、研ぎ澄ましている者は、特別な力や輝きが沸きだしてくるというのである。



その力の名は、
「ブランマヴァルチャスब्रह्मवर्चस्(「ブラフマンब्रह्मन्」を学ぶ者の力、輝き)」。


『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』によると、精神的な修行として「マントラमन्त्र」を唱える事によって、独特の輝きや力がミナギってくるという。


どうも『ヴェーダ(聖典)』に記されたオリジナルのマントラは、本来私たちがもっていながらも発揮しきれていない可能性や潜在的な力を目覚めさせる力を持っているらしいのだ。


ふむふむ。


といっても、この力は超常現象を起こすようなパワーではなく、

あくまでも現実的。

マントラや聖典の教えにフォローすることで、知性と意志の力が増すということを意図しているのですがね。

それにしても、

聖典の最終章である『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』に記されている以上、

我々の五感や限られた知性では知りえない、計り知れないエリアの事実を示していることは確か。

だから私たちは自然に、聖典の持つこうした力に引き寄せられ、
Yogaが生まれた場所から遠く離れた島にいるのに、なぜかYoga的な考えにしびれたり、
「マントラमन्त्र」というものに魅力を感じたりしているのかもしれない。

・・・


そう、そういえば。


こうして、改めて聖典にいわれてみれば

「確かに、そうかもなぁ~、「マントラमन्त्र(聖句)」には力があるよな~」

 と思う事がある。

インドに来ると、あたりまえだけど毎日沢山のインドの人と接することになる。

日々彼らと接していて驚くことは沢山ある。

例をあげれば、

まずはホントに本気で、みんな毎日手づかみでカレーを食べていること。


漫画や映画のように、女の人はサリーという長い布を巻きつけて町を闊歩していたりする。

さらに男も女も、子供もご老人も、もれなく、みんなオデコになんか黄色や赤や黒い奴をつけている。

そして、多くの人がとても明るく、たくましい。

今生、富に恵まれた人も、そうでない人もいて、なかなかにインドの暮らしぶりは大変そうなのだが、なんとなく、みんな


「今は大変だけど、最終的にはどうにかなる!」

と思っている。

「きっと、神がどうにかしてくれる。」

と固く信じきっている。

「俺を含んだ世界を創り、
その世界を運行させている神が、ピンチで困り果てている俺を救わないはずがない。」

と確信している。


“世界は自分が対してきっと良いことをしてくれている。”

そのことに対して皆、物凄い自信を持っている。


完全に世界を信頼し、委ねている態度とそれゆえの底抜けな明るさ。


それにはとても驚かされる。


しかし
そんな数々の驚きの中でも、

意外な事実としての驚きは、Yogaをしているという人は、実はインドにはそんなにいないという事実。

例えていえば、

国技だからといって、日本人が皆相撲の朝稽古をしていたり、週末にシコを踏んでいたり、合気道や柔道や剣道にいそしんでいるわけではないように。


同じ様に、


インド人だからといって、皆が体を磨きあげるようなYogaをしているわけではない。

むしろクネクネポーズで瞑想しているのは極少数派・・

インドにおいて、私たちが今YogaスタジオなどでしているYogaをしている人は本当にとても少ない。


むしろ、体を動かしたり、息を止めたりするようなYogaのテクニックを練習するより、

日々いかに心の葛藤なく健やかに生きるか?

という、「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」や瞑想や祈り、
人生におけるゴールを達成するための道
として、Yogaはとらえられている


人として理想的なゴールに真っ直ぐ進んで行く生き方・術として、Yogaという道がある。


だから、インドの人にとってYogaは

運動や健康体操といよりも、自由というゴールへ向かうための生きる道という意味の方が一般的なようなのだ。


“ブレのない生き方”

それが、

多くのインドの人にとってのYoga。


インドの人にとってYogaとは体の形状をどうこうすることよりも、

「いかに生きるか?」

という考え方の方がずっと深く、一般的に浸透している。


毎日の些細な出来事の中で、人間的成長と心の浄化のために、自分の生き方をコミットできているか?

為すべき事をし、聖典の言う人の道に外れたことをしていないか?

世のため人のために貢献できているか?


という日々の生き方をYogaにする「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」の考え方が
テクニック先行のYogaより広く行渡っている。


このYoga的な理解や知識のベースは、『ヴェーダ(聖典)』に支えられている。

インドの多くの人が敬う『ヴェーダ(聖典)』の教え沿った生き方。

それが、生き方としてのYoga。

 日々生きることそのものをYogaにするということ。


たとえば
毎日マントラを唱え、瞑想をし、

自分を取り囲む世界と繋がるために祈り、

「プージャपूज(儀式)」したり、

聖典の規律に従って、生物に優しく、慈悲深く、肉食を避け、

自己を惑わすような習慣や飲酒を避け、

感覚的な快楽に溺れるような生活ではなく、

聖典に記された規律あるスタイルで生きること。


そういう風に毎日の暮らしそのものをYogaにしている人たちは、やっぱり沢山の人々の中にいても、なにか外見や滲み出ている雰囲気が違うのだ。


町にいけば、沢山のインドの人には会うが、『ヴェーダ(聖典)』に従い、Yoga的な生き方にフォローする人達は、その独特の雰囲気や、たち振る舞いからして違う。


引き締まった顔つきや強い目の輝き。

精神的な修行のための“清潔”を守る些細な習慣やしぐさまで、

他大勢のインドの人達の中にいてもはっきりとした違いがある。


『ヴェーダ(聖典)』に生きる人達には皆、
なにか静かなる厳に満ちた雰囲気を感じるのだ。


“謙虚さの中にも滲みでている自信あり”というような落ち着きと安定感。


威風堂々とした姿勢を保ち、

はっきりと強く、真実を伝える言葉を語る。


事実を見つめる真っ直ぐな眼差しと、輝く眼の力。

聖典にバックアップされた知識と規律に支えられ、


生きる道を自ら定め、

迷いを捨て去った者が持つ独特な強さ。

規律正しい生活から感じられる”清潔感“。

さらに、自分であることにあることに誇りを持ち、世界のあるがままを認めている心の大きさ、広さ。

自分の道が正しいということを確信しているがゆえに、全体的にとても自信があり、
“余裕”すらあるようにみえる。


それが全体的な
落ち着きはらった表情と佇まいに漂っているのだ。

沢山の町ゆくインド人の中でも、

Yoga的な生き方をしている人と、そうでない人

この間にそんな違いを見てしまう。

その違いは、外人のひよっ子「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者)」である、わたくしが見ても明らか。


やっぱり、『ヴェーダ(聖典)』に支えられたYogaに生きる人、

日々マントラやスピリチュアルな修行で己を高めている人は

明らかに大勢の人の中にいても引き立っているのだ。


清楚でシンプルな外見をしているのだが、それでも静かに、強く輝いている。

実は、どうも彼らのこういった輝きや力や強さは、『ヴェーダ(聖典)』のマントラや「プージャपूज(儀式)」をすること

で得ることができるらしい。


『ヴェーダ(聖典)』のマントラや祈りの言葉は、唱えられることで内なる力を人にもたらす。


生きることにおいて本当に欲しいものをはっきりと悟り、

迷いがなく、ただひたすらに真実を見極めようとする力。

その力によって、知性に何か小さな革命のようなことが起こるという。

心から望むことのために必要なことを記憶し、

肝心な時に肝心な情報がうまく引き出せるような知恵の力が増し、

深い思慮と思いを実現する実行力が湧く。


そういった力をYogaでは総称して「シャクティशक्ति(力)」と呼んでいる。


『ヴェーダ(聖典)』を学んだり、そこに記されたマントラを唱えたり、Yoga的な生き方をしている人々には、

強い「シャクティशक्ति(力)」が沸きおこり、

その力が、外見の何とも言えない目の力や輝きとなって現れているのだというのだ。

『ヴェーダ(聖典)』を学ぶ人や『ヴェーダ(聖典)』のマントラを日々唱えている人だけに備わる、独特の落ち着きと強さと輝き。

それが、「シャクティशक्ति(力)」の中でも特に、

「ブランマヴァルチャスब्रह्मवर्चस्(「ブラフマンब्रह्मन्」を学ぶ者の力、輝き)」
という力だといわれる。

この力が、その人の輝きとなって、多くの人を惹きつける。

『ヴェーダ(聖典)』を学ぶ人のもつ独特の輝きの秘密はここにある。

そして、なんと、この力や輝きは私たちも得ることができる!


マントラによってもたらされる変化は、インド人じゃなくても、努力と意識次第で、人生のどんなポイントでも起こすことができるという。

今までの人生で『ヴェーダ(聖典)』について何も知らなくても、
ある時点からYogaをはじめ、
ちゃんと日々の生き方の中で後悔や葛藤なく
自分の為すべき事をする「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」に従事し、

聖典に記されたサンスクリット語で正しい発音でマントラを唱え、

怠ることなく日々瞑想をし、

『ヴェーダ(聖典)』の「プージャपूज(儀式)」をしたり、それに代わる祈りを続けることで、その人は以前とは全く違う

輝きを放つといわれる。


「この人には、今何か大きな変化が今起こっているに違いない!」

と、だれもがいうような、そんな解りやすく明らかな変化がやってくるらしいのだ。

インドには、今もたくさんの人々に尊敬される、気高く慈悲深いスピリチュアルな巨匠たちがいる。

彼らは、『ヴェーダ(聖典)』に記された規律ある生き方に従い、毎日サンスクリット語で『ヴェーダ(聖典)』のマントラを唱えている。


そして彼らに続くYoga界の輝ける巨人のような人たちも、毎日マントラを唱え、瞑想をし、儀式を欠かさない。

そうやって明晰な知性と真実を見極める鋭い感性を磨きあげ、

事実をみる目を養い、

静かなる強い力を日々の努力によって高め続けている「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者、達人)」たちがいる。

『ヴェーダ(聖典)』の教えに従う生き方や、祈りや儀式、マントラには、人の潜在的な力を呼び起こし、

Yogaやスピリチュアルなゴールを目的とする生き方に人を目覚めさせ、

引きあげる力があるのだということが、彼らの存在によって証明されている。


この特別な力「ブランマヴァルチャスब्रह्मवर्चस्(「ブラフマンब्रह्मन्」を学ぶ者の力、輝き)」を加速させるのが、前回ここでも紹介したマントラを使った瞑想をすること。

そしてもう1つが

「プージャपूज(儀式)」という祈りである。

「プージャपूज(儀式)」とは、

世界を構成するエレメント(空、風、火、水、土という五大要素)を用いながら、
それらに繋がるための行い。

これらのエレメントを統制し、秩序を作り出している法則であり力の源である『イーシュヴァラईश्वर(全体世界)』という存在を理解し、祈りをささげ、世界との一体感を事実として見るために行う。

より深い理解のレベルで、

私たちが世界とは離れていない、

世界と自分は繋がっている、

という事実を理解するための行い。

「プージャपूज(儀式)」がもたらす1つの結果は、自分と世界の繋がりを強くすることができるということ。

私たちのこの体も、機能も考えも、感情も五感も、世界を構成する空、風、火、水、土という5つの要素だけできている。これらの要素は無秩序にバラバラに動いているわけではなく、1つの法則に貫かれている。


この物質をつくりだし、世界を動かしている要素と、
それらを秩序あるルールに基づいて動かしている法則と力を、
聖典は『イーシュヴァラईश्वर(全体世界)』と呼ぶ。


「プージャपूज(儀式)」をすることよって私たちは、空、風、火、水、土という5つの要素と繋がりながら、

それらすべてを統率している根源的な力であり、ルールである『イーシュヴァラईश्वर(全体世界)』との繋がりを
より強く、深めることができる。

その方法は、

マントラという祈りの言葉や、水や火やよい香りに象徴された5つの要素を使って、

『イーシュヴァラईश्वर(全体世界)』を自分の祈りの対象として、自分の前に迎え、

祈りを通じてコミュニケーションを積極的にはかること。


聖典に記された言葉や行いによって目の前に迎えた『イーシュヴァラईश्वर(全体世界)』に向かって、

私たちは、その力を讃えるマントラを告げた後、自分の望みや願いをはっきりと宣言することができる。

そこで宣言したことが叶えられるように祈り、願う。

そうして、この行いに対する結果は、世界からのレスポンとして喜んで受けとめる。

積極的に世界に働きかけ、世界からレスポンスを受ける。

祈りや儀式を通じて、私たちは全体世界との相互コミュニケーションを図ることができる。


こういった『ヴェーダ(聖典)』に基づく祈りや儀式は、サンスクリット語で、「プージャपूज(儀式)」と呼ばれる。


「プージャपूज(儀式)」の“プ”

「プーपू」という音は、自分がした良からぬ行いの結果、罪、後悔、混乱という形になって現れる「パーパपाप(不
徳)」の意味。


過去にやってしまった、言うに言われぬ行いの結果である「パーパपाप(不徳)」を、
「プージャपूज(儀式)」によって、取り除き、破壊することができるという。



「プージャपूज(儀式)」の“ジャ”
「ジャज」という音は、「ジャンマजन्म(生まれ変わること、生きること)」という意味。

「プージャपूज(儀式)」によって、生まれ変わって今を生きている目的をはっきりさせる。


自分の生きる目的を成就させるために、
世界の様々な目に見えるものも、見えないものも含んだキーファクターを味方につけるためにする行いが「プージャपूज(儀式)」。

簡単にいえば、運を掴み取るための行い。

さらに、祈ることのもう一つの大事な意味とは、

“自分の中に眠っている本当に欲しいもの、本当に必要な物に対する素直な思いを汲み上げるということ


私たちは、何も演じず、自分であるがままで素直になれる存在を目の前に迎え、繋がることで、心を思いっきりオープンにすることができる。

そうやって偽ることなく、心をオープンにした状態で願い、祈ることが、私たちの心の奥に眠る本当に欲しいものを見つけていく作業となる。

自分でも気がつくことがなかった、“本当に欲しいもの、求めるべきもの”を見極める知性を揺り動かし、目覚めさせる。

それが、この生において、本当の生きる目的を呼び起こし、実現していく大事なプロセスとなる。

もし私たちが、自分が本当に望むものは何か?そのためにはどうすればいいのか?

それを見つけることができたら、生きることに対する迷いはなくなる。

迷いなき道はまっすぐと望むゴールへ繋がる。

そうやって歩く道は、ブレのない生き方となる。

自分が進むべきゴールを確信し、迷いない道を歩むことは、私たちの中からある種の不安や悩みを取り除き、
強さと自信をもたらす。


迷いなきYoga的な人生は、初めから最後まで、ただ1つのゴール、自分が心から望むことに繋がった喜びと希望に溢れた旅となる。


何が途中で起ころうとすべてが“道の途中で出くわす興味深い出来事”になる。


どんなものにも捕らわれることなく、何が起きても楽しめる。

もし私たちの生きることが、こんな風に迷いない旅のようだったらなんていいのだろう!


そう思うなら、祈りや「プージャपूज(儀式)」や瞑想は私たちをガイドしてくれる術となる。

祈ることで、私たちは自分の中の本当の望みを知ることができるのだから。


ここに毎日祈り、「プージャपूज(儀式)」を通じて世界に自分の望みと願いを告げる意味があるのだ。


さらに、私たちは自分の力ではどうにもならない様々なチャレンジや、困難な出来事に出くわしたときにも、それら
を司る大きな法則に対して祈り、解決を求めることができる。

祈りという行いが、困難を打開する力となり、
スムーズな問題解決のキ―となる“運”を味方につけることになるからだ。

私たちはだれもが、祈り、望み、行いを自由に決めることができる意志を与えられている。
それはとても得難い、人間だけに許された特権だといわれる。

だからこの力をフル活用しない手はない!

「欲望を持つことはよくない。」

とか

「祈りを自己中心的な野望のために使うなんてとんでもない、」

なんてブリッコしたり、ウジウジする必要はこれっぽちもない!

望むことは力だ。
願えることは「シャクティशक्ति(力)」なのだ。


人の道を踏みはずさずに、誰も傷つけることなく願いを叶えることができるのは、

人間に与えられた特別なパワーであり、

それこそが自由へ繋がる大切な要素だ、というのが聖典のヴィジョン。


私たちの様々な行いの中でも、祈りは100%自由な意志に基づく特別な行い。


だから、私たちは祈りという行いの力をドンドン使い、望むことを叶えることができる。

自由に望み、希望を叶えることを恥じることも、悪く思うこともない。

祈りは毎日、どんな時にでも、どこにいてもできる。

『ヴェーダ(聖典)』に記された「プージャपूज(儀式)」を毎日するのは困難かもしれないけれど、

「プージャपूज(儀式)」の中心的なスピリットである“真摯な願いを祈りの形で世界に伝えること”は、心の中で思う
だけでも、言葉にするだけでも充分有効な行いとなる。


思ったり、願うことは、心の行い「マーナサカルマमानसकर्म(心の行い)」。

言葉にすることは、「ヴァーチャカルマवाचकर्म(言葉の行い)」。

どちらもちゃんとした「カルマकर्म(行い)」である。


思いの上で祈るだけでも、言葉にするだけでも、『カルマकर्म(行い)』である以上、

祈りには必ず結果がもたらされる。


だから、祈りはれっきとした行い。

祈るという行いをすることで、運命を変えていくこともできる。


また、祈ることによって、私たちは自分の心を完全に開け放つことができるようになる。


どんな悩みも不安も希望も、オープンにして開け放っていい存在を祈りの対象としてもっていることは、

私たちに強さを与えてくれる。


完全に委ね、自分が心からやりたいこと、やるべき事、望むことを何でもはっきりといってみる。

それが自分の内面を深く掘り下げることになる。

手を合わせたり、手を鳴らしたり、何らかの尊敬の気持ちを表現する行いを添えながら、

心の中の思いをすべて開け放ってしまおう。

悩みも、不安も、心配も、怒りも、どうにもならない思いのすべてを世界に向かってオープンにして、預けてしまおう。

そうして、何にも歪められない形で心の奥にしまわれている、“本当に望んでいること”を素直に呼び起こして、世
界に堂々と宣言しよう。


祈りの対象は、何か自分にとって特別な存在ならなんでもいい。

日本の神社やお寺で祈りの対象となっているものでも、

インド発の神々でも、山や海や自然界のものでも結果は同じこと。


自分にとって、それが全体世界を象徴していて、心を開け放つことができる存在となるのなら、どんな象徴に祈ったとしてもオッケーなのだ。

純粋に自分と世界を繋げ、コミュニケーションをとっていくために

祈りや「プージャपूज(儀式)」はある。

余裕があれば、蝋燭の火を灯したり、新鮮な水やフルーツを捧げたり、

祈りの言葉やマントラを唱えたり、澄んだ音色のベルや、いい香りのお香を焚くなどすればベター。

でも形式よりも、肝心なことは心からの真摯な思いで行いをするということ。

私たちは毎日の中で負担なくできるだけのことをしていこう。

ストレスにならず、プレッシャーにならないことを続けてみよう。


祈りや「プージャपूज(儀式)」で心を楽にし、

心をリラックスさせることで

自分の中にゆとりと自由なスペースを作っていく。


心のゆとりがあればこそ、Yogaの修行もスムーズになり、精神的な活動もより深められ、

世界にしっかり足をつけて生きながら、自分自身の真実と世界の真実を見据え、

自分の生きる目的を達成していくことができるようになる。


毎日の祈りや「プージャपूज(儀式)」は、私たちに明るさと、強さをもたらしてくれる。

そこにマントラをプラスして、

力と輝きである「ブランマヴァルチャスब्रह्मवर्चस्(「ブラフマンब्रह्मन्」を学ぶ者の力、輝き)」を高めていけば

この世に怖いものなどない!!

☆☆


そういうわけで、2012年もあっという間に3ヶ月経過しましたが、

体と心によいYoga的習慣
瞑想、
そして、祈りと「プージャपूज(儀式)」


この3つを快適に続けてゆきたいものですね!


ではでは、


さて、次回からぐぐっと趣向を変えて

 『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』を少しづつ原文と共にご紹介していくシリーズにした
いと思っています。

Yogaをしていると必ず出くわす「ブラフマンब्रह्मन्」、「アートマンआत्मन्」という言葉が出てくるオリジナルの書が
『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』。

日本語では、奥義書、といわれ大変難解且つ、ミステリアスな存在に思われている。


・・・でも本当はとても面白い。

初めとしては、『バガヴァッドギーター』の原典にもなっている


『カタ・ウパニシャッドकठोपनिषद्』をスタートさせる予定。

『バガヴァッドギーター』には、この『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』のマントラが幾つも
引用されています。

少年ナチケータと、死の神閻魔大王の間で繰り広げられ興味深いる問答。

その対話の中で、人間の真実が明かされてゆく。


それは、『バガヴァッドギーター』のアルジュナとクリシュナの対話にも引用され、
何度も人々に深く考えられ、多くの人を自由にしてきた教え。

これを一緒に見ていけたらいいと思っています。

どうぞお楽しみに!

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朝、道を歩いていたら、なにやら向こう側に怪しげな気配・・

なんかいる!!

なんだろ?

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よってみると、 や、や、野生の孔雀。


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朝からこんなド派手な生物がうろちょろしているとは。

インドって、なんというか
生命が生生しい。

で、

その後このお方は、家の屋根にのったり、空を飛んだり、求愛の羽を広げてみたりと、
かなり自由自在に御振舞いに・・

Cimg1760


その後「風見鶏」のように屋根の上でしばしたたずみ


「風見孔雀」のステータスを満喫されていた・・


うん、自由ってすばらしい。

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2012年2月18日 (土)

2月20日は「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」

昨日まで、インド、リシケシにいて明後日月曜日、20日の「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」

のための

「जप ジャパ(マントラ瞑想)」用マーラー を手に入れてガンジス河で清め、お寺で祈りを捧げてきました。

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ガンジス川で朝一番の光に当てて、一緒に沐浴して清めました。↑

インドでも最も祝福されているスピリチュアルな日が「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」

その日から瞑想やYogaを始めると必ず上手くいくとのこと。


今回は50本分お祈りすることができました。

「जप ジャパ(マントラ瞑想)」で得られるメリットは沢山あります。

どうか、このマーラーを使う人が人生の目的を達することができるように、

成すべき事を終えることができるように、

そのために「जप ジャパ(マントラ瞑想)」がよき方法と手段になるように。

と、お寺の司祭さんと共に「シヴァशिव」の祝福を祈りました。

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2月20日は、19:00からお祈り、瞑想、「プージャपूज(儀式)」、マントラを共に唱え
良いスタートを切りましょう!


50本のマーラーはすべて寄付し、東日本大震災リハネットワークにお送りしていただくつもりです。

「सेतुन् तर セートゥン タラ」  与えることで大きくなれ、悲しみの海を超えていけ

という

『ヴェーダ(聖典)』の言葉を今年はしっかり胸に刻んで、自分を大きく成長させる年にしたいと思います。

さて、そんな私ですが、
本日日本に帰国しました。

明日は朝9:00-からサンスクリット語。

午後14:00~は瞑想WS

そして2月20日は「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」


一緒にYogaを深める日々にできたら嬉しいです。


滞在期間は22日まで。その間、ご質問など何でもあれば直接お話ししてくださいね。

その期間はできるだけUTLにいるようにしています。

では、

どうぞ宜しくお願いします!


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リシケシは東京と同じくらいの寒さ。ヒマラヤの風が冷たいですね~・

しかし、ガンジス川での沐浴は最高に「パーパपाप(不徳)」滅するチャンス。

気合いを入れてしっかり清めておきました。

このマーラーを使って瞑想を始める人達が、どうか心から納得がいくYoga的自由に達することができますように。


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2012年2月 7日 (火)

2012年 新しいことを始めよう! 第2弾Yoga的瞑想


2012年 新しいことを始めよう! 第2弾Yoga的瞑想
集中力UP!平和で落ち着いた心を持つためにする
1日10分の「जप ジャパ(マントラ瞑想)」を新しい習慣にしてみよう。

今年はYogaをぐーーーっと深めるために、瞑想を毎日しよう!


そう鼻息も荒く2012年のスタートを切ったYogiもきっと多いことでしょう。

こんなインドの片隅で蛇や象という野生動物の出現に毎日ドキドキしながらそっと生息しているわたくしだって、
そんなYogiの1人ですからね。


ンで、

その後いかがですか?


ピッカピカの決意を「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」と共に誓い
、あんなに堅く己にいい聞かせた1月1日から早1ヶ月。

瞑想は続いていますか?

・・・


フム


そのことには触れるなと。


・・・もしかして


「ああ~あ、その話?

そんな時もあったけど、とにかくこっちは雪が降ったり、残業が重なったりで瞑想どころじゃなかったんですって」


とか、

「そーいえば、そんな風にまじめっこYogiになろうとしてたかもね~」


といって、瞑想習慣が遥か彼方昔に置き去りにされていたり・・しませんかね?


そうそう。


そんなことはよくあることですよ。


今年こそやったろう!


と、固く誓っても続かない。

うん、仕方のないことさ。人間だもの。

でも、

たとえそんなになっていたとしても大丈夫!


今月、2月は瞑想を再決意して始めるのに最高のタイミングですから。


また決意も新たに、始めればいいだけのことです。


特に2月の第一回目の新月「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」はYoga修行を始めるのに最高に吉兆な日。


ここから始めれば、今度こそ、まず間違いないでしょう。


「えぇっ?今までの人生、何度誓って、何度挫折したことか!?」


そういうかもしれませんが、 それでもいいんです。

むしろ、それでいいのです。

Yogaはどんな困難があろうと、途中で放り投げたとしても、長い人生において静かに続いていればそれでいい。


たとえ練習が途切れ途切れで、今にもキレソウな細い糸でギリギリ繋がれているのだとしても、

最終的に諦めなければいいのですよ~。

そして、Yogaは人生のどんなタイミングではじめても、何処から、どんな風に集中していこうと、

Yoga修行の結果は必ず実を結ぶことになっている。

なぜなら、それがすべての人、すべての生物が本当に望む自由や、幸せに繋がっているから。

この世界に生きる生物の究極のゴールに繋がっているから、

どんなささやかな修行もYogaは私たちによい結果を示してくれる。

少しずつでも、自由へと導いてくれることになっているのです。。


それが『ヴェーダ(聖典)』のいう世界の法則。


だから、どんなに些細なことや、小さな努力だとしてもYogaは間違いなくよい結果を出し続けることになっている!

そんなことが、『バガヴァッドギーター』という経典の中でもいわれております。



まあそれでも、一度決めたことが続かないと自分に対する自信も失ってしまうし、

己の誓いを破ったことで良心は傷つくし、気持ちもすっきり晴れないことは確か。

なので!

今度こそ挫折しない方法、毎日の習慣として長く続けていくための瞑想をはじめてみようじゃないですか!

“瞑想”

というとなんだか構えてしまう。

そして構えることで気合が空回りして、結局めんどうくさくなり、やらなくなったりしてしまうこともある。

けれど、ここでお勧めする方法は、1日5-10分の「जप ジャパ(マントラ瞑想)」瞑想。


大変気軽に毎日の生活に取り込んで瞑想を習慣づけることができるのです。


そんな瞑想を続ける秘策は次の4つ

まず

無理しないこと。


時間的にも、空間的にも能力においても無理をしない。

私たちは、現代社会で毎日忙しく生きている。そんな生活で1日1時間瞑想をしようとするのは、まず難しい。

それに、人里離れた洞窟や滝がすぐ近くにある場所に住んでいるわけではない。

環境にも限りがある。

また瞑想で坐ったからといって、突然の悟りや、めくるめく「サマーディसमाधि(深い瞑想状態)」は起こらない。


だから瞑想を続けるコツは、瞑想に対して、大きな理想を掲げないこと。

大きな理想を掲げて、それに近づいていこうとするような無理な試みをしない。


肩の力をぬいて、毎日の歯磨きやお風呂に入るような感覚で瞑想をサラっと毎日続けること。


高すぎる志は、煌めく理想のまま自分に永遠に君臨し続けるだけだ・・・

それでいて、ちっとも実践的でない。


私たちは現実的に、今の生活をあまり変えずに、今できることをする必要がある。

今ある生き方や環境の中で負担にならないことをする。


そんなわけで、日々の瞑想のお勧め時間は、


朝起きて直ぐの5-10分
夜寝る前の5-10分


 この時間だけでいいから、まず自分と向き合うための大事な時間としてまず確保する。

そうして少しずつ、瞑想する習慣を自然に今の自分のライフスタイルに組み込んでみる。


その② 瞑想で悟ろ
うとしないこと。


瞑想に対する大きな間違いの1つだが、Yoga的瞑想は、あくまでも心を整えるためにある。

好き嫌いといった感情や、迷い、怒り、恐れ、嫉妬などを治めるための方法。

なので、瞑想は“悟り”を得るための直接の方法ではない。


瞑想をするにあたって


「これは心を整えるためにするんだな、心のメンテナンスのためにするんだよな」

といって淡々とこなすこと。

過剰な期待を瞑想にのせない。

瞑想で悟る、というのはYogaにおいては実は幻想でしかない。

それは、もはやスピリチュアル・ファンタジーといってもいい。

日常を超越するような体験を瞑想に求めることは、もうSF。

そう、その位に思っていて間違いない。

何か異次元体験のようなことを瞑想に求めるのは、賢者にとっては笑い話。
悪い冗談にすぎぬ、という。

『ヴェーダ(聖典)』に基づく本来のYogaでは、

より現実的に、客観的に、瞑想の意味をとらえている。



瞑想とは、心を扱うための行い。


心を自分の最高の友、道具にするために瞑想をする。


そして日々道具として使うことで、汚れ、乱れ、すさんだりしてしまう心を、キレイに保ちメンテナンスするというニュアンスに近い行いが瞑想なのだ。



その③瞑想ができないことがあっても、悪いと思わない。


もっといえば、瞑想をさぼってしまっても、罪悪感をもたない。

後悔や罪悪感は何の意味もない。

だから、思い切ってブゥ~ンと、世界に放り投げてしまおう。

人にはいろいろなタイミングがある。


どんなに良いことでも毎日の習慣にしようとすると、どうしても都合でできないことだってある。

そんな時は、堂々とスキップして、次の瞑想で自分と世界に対して一言お詫びをいって、

後悔せずにまた新しく始めればよし!

どうしても雑念に弄ばれたり、途中で寝てしまったり、瞑想が上手くいかないことだってある。

その時だって後悔しない。

それは仕方のないことだったんだよ!

と、納得して受け止め、次の瞑想でちゃんと整えていけばいい。


「昨日は瞑想できずに、すいませんでした。

今から、心新たに始めます。

どうか、今からする瞑想が昨日の穴をカバーし、困難や障害がおこりませんように。

一層瞑想を深めることができますように。」

そう一言いって、カラっと切り替える。


たとえ間違ったことをしても、瞑想が上手くできなかったとしても、Yoga瞑想はいつでも挽回可能!

この挽回大作戦的な行いを

聖典は 「「プラーヤスチッタ・カルマप्रायश्चित्त-कर्म(過去のカルマを中和する行い)」

という名前で呼んでいる。

過去の事は過去の事。

もうそれは、どうにも変えられないこと。


だから、受けとめてみるしかない。


変えることができるのは、今からすることのみ!


過去の事は大きく広い心で、


「うん、仕方ないんです」


といって、優しく受け止め、今からすることに全てを賭ければいい。


今すること、今していることにしっかり向き合って、過去を挽回する勢いで本気でやればいい。

それが未来を変えていくことにもなる。


後悔しても何も始まらない。


Yogaは無駄な事をしない。


ひたすら、現実的にできることだけをする。


大変実践的、且つ前向きな行いがYogaなのです。


「プラーヤスチッタ・カルマप्रायश्चित्त-कर्म(過去のカルマを中和する行い)」は、過去にしてしまったことを挽回する
行いのこと。

たとえ過去に間違ったことをしても、今!


3倍くらいの勢いで正しいこと、やるべきことをすれば、上手いこと人生は調整されていく。

明るい未来にむかってする努力だけが、本当に私たちができること。

そしてそれは、いつでも始められる。

だから、


後悔するなかれ。

恐れるなかれ。

諦めるなかれ。

ということですね。



④シンプルで確実なメソッ
ドを続けること。


歯磨きをするように、お洗濯をするように、瞑想においても同じ作業を淡々と繰り返すこと。


新しいことを付け加えようとしたり、何かを企てたりせず、

ただひたすら同じシンプルな1つのメソッドに集中すること。


Yoga的瞑想は悟りをターゲットにしてはいない。

瞑想の目的は、“悟る”ようなことが起こるための心を準備することでしかないのだ。

それは、

鏡を磨くように、心を毎日磨くこと。

まっすぐにありのままの世界を映すことができるように。


それはまた、眼鏡を拭くように、気がつくたびに心を磨くことでもある。

曇りなき眼で、自分自身の真実を見ることができるように。


瞑想は心の掃除、そう思って毎日同じことを繰り返すこと。

それが続く瞑想をするコツです。


そのためのメソッドはシンプルであればあるほどよい!

というわけで、その方法のご紹介~

【1日5-10分 瞑想方法】

① 自分にピッタリ合ったマントラを1つ選ぶ。

  マントラ=心の道具、瞑想をするための“音”という形で現れた道具のこと。

このマントラも、シンプルな方が瞑想自体の効果をあげることができる。

詳しくは2月19,20日にお伝えしますが、

参考までに以下3つ瞑想で奨励される伝統的なマントラを見てみましょう。


「オーム ナマ シヴァ-ヤ ओम् नम: शिवाय 」
「オーム イーシャーヤ ナマハ ओम् ईशाय नम:」
「ラーマ राम」

母音が5つ位までの、シンプルなマントラが瞑想には適しています。


②決まったマントラを毎回27回繰り返す。

この27回だけに、本気で集中すること。

ただそれだけでOK.

もし余裕があれば倍の数の54回、さらに余裕があれば108回してもOK

これだけです。

シンプルシンプル♪


マントラの選び方は再来週、一緒にみていきましょう!

瞑想は毎日する。


そうすることでシンプルなメソッドながらも、結果がでるのです。

そうやって1か月も経つ頃には、何かが変化しているのに気がつくはず。



【1日5-10分、「जप ジャパ(マントラ瞑想)」をするメリット】

・集中力、創造力がついてくる。

・落ち着きと冷静さが、自然に養われる。

・心の動きを冷静に観察する内なる自分が、どんな時もしっかり真っ直ぐ立っているようになる。

だから、たとえ感情が乱れても、自分自身の知性までが一緒なって乱れたりしなくなってくる。


・感情の乱れ自体が少なくなり、
たとえ荒れたとしても、そうそう簡単に行いや言葉にだして、誰かを傷つけたりすることが少なくなる。

さらに、

・マントラの間にできる沈黙を意識するようになれば、

自分自身の事実である“満ちているということ”、そして“静かな内なる幸せ”を実感する。


そのことで、自分自身であることを認め、受け入れ、喜べるようになる。

もっともっと自分を信頼し、自分に堂々と寛ぎ、リラックスできるようになる。

世界にビクビクしなくなってくる。

と、これまた「जप ジャパ(マントラ瞑想)」にもメリットがいっぱい。


というわけで、毎日楽しく、後悔せず、Yogaを続けていきましょう!


ではでは、来週はもっともっと自分に自信を持ち、


世界を信頼し、リラックスするために、しっかりした繋がりをつくるための

毎日できるYoga的「プージャपूज(儀式)」


を一緒に観ていけたらいいですね~


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『ヴェーダ(聖典)』青年団現る!


この人達は今『ヴェーダ(聖典)』の中のサーマ・ヴェーダを斉唱してくれています。

Cimg1635

『ヴェーダ(聖典)』の価値観が息づく世界では、少年は8才くらいから12年間「グルगुरु(真実を教える者)」の元で

聖典を学び、修行する。

そうして、20歳を過ぎたころ一度グルの元を離れ、自分の家族を持ち、社会での役割を果たす。

勤めが終わったら、50歳ころ森にはいり、人里離れた静かな場所で瞑想や精神的な活動を営む。

最終的に『ヴェーダ(聖典)』の教えを完全に理解し、家も、持ち物もすべて世界に預け、1人世界を旅する。

他人から施しを受けながら、次の世代、若い者に聖典の教えを伝えていくという出家の生き方、

『サンニャーサसन्न्यास(出家の生き方、捨て去ること)』生活選び人生を終える。


これがこの人達の理想的な生き方なのです。

生きることに迷いがないって、いいですな~


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昔ながらの光景、グルと生徒たちが『ヴェーダ(聖典)』を学んでます。

それにしても、この歳にしてこのガタイのよさ、恰幅のよさ。

噂じゃ『ヴェーダ(聖典)』を斉唱するのは力がいるからといって、

ギーという溶かしバターを飲んでるらしいですよ・・・


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2012年1月30日 (月)

第1弾Yoga的半断食「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」 その2

「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」実践のメリット、その2

2012年1月19日は「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」にトライされましたか?

「いやいやいや、日本はとっても寒くてフルーツやヨーグルトなんて食せませんよ。」

「残念ながら、丁度その日に限っていろいろあって・・・」

という方。大丈夫!大丈夫!

「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」はいつから始めてもOK.

ちなみに、次回は2月3日ですがね。

また、「ここぞ!」という日も半断食をすることができます。


例えば、もうすぐくる2月20日の「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」や、

「ヴィシュヌविष्णु(秩序と維持の力、すべてに行渡る者)」の日や
、『バガヴァッドギーター』が生まれた日なども

その日に半断食などの「タパスतपस्(精神修行)」をすることで、「プンニャपुण्य्(徳)」ポイントをUPさせるぞぉ!
と、『ヴェーダ(聖典)』文化圏の人々には考えられています。


そして、新しく始められた方、一緒によい習慣を続けていけたらいいですね~。


次回2月3日の次は、2月20日の「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」。


その日は私も日本にいる予定なので、一緒にその日から始めてみるもいいですね。

「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」の日は
Yoga的な習慣や修行をスタートさせるのにベストといわれる特別に吉兆な日ですから。


この日に精神修行のスタートをきれば、多少の障害や困難も、「シヴァशिव(すべてを収束させる力と法則)」によっ

てのみ込まれるので、きっとどうにかこうにか上手くいくでしょう!

ちなみに、日本だったら、お豆腐とか豆や大豆製品も
「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」メニューに適していますね

わかめや海藻も豊富で、羨ましい限り・・

「でも、しょうゆや、つゆの元など、魚エキスとか、カツオを使ったりしているものはどうなのですか?」

という質問がありますが、できればその日は控えた方がいいでしょう。

しかし、これも“できれば”、ということで、半断食に絶対的な決まりはありません。

それに些細なことばっかりに気をとられ、神経質になって、周りの友達や家族をいたたまれない気持ちにさせるく

らいなら、気にしない方がいいでしょう。きっと。


修行をすることは、もちろん大事なのですが、周りの人に迷惑をかけたり、
気分を悪くさせてしまったり、調和を乱すことは、

Yogaで守るべき最もベーシックなプリンシパル「アヒンサー अहिंसा(非暴力)」に反することになるからです。


「ヒンサー हिंसा(暴力)」は、必ずしも周りの人々をブン殴る、とかいうわかりやすーい暴力だけとは限りません。

罵詈雑言を浴びせたり、調和を乱したり、気分を悪くさせたり、マナーを破ることも

“暴力”のニュアンスを含みます。

実はこの辺で、その人のバランス力・人間力が試されます。

あるところでは、きっちり守るべき事に線を引く。
そして、ある時点では周りとの調和も大事にする。

人によってそれぞれの立場があり、守るべき事に関しては『ヴェーダ(聖典)』やYogaの経典も

“絶対”とはいえません。

修行者1人1人の立場と状況で、守るべき事はそれぞれ違ってきます。

周りと上手くバランスを取りながら、己のやりたいことを極めるというのが、Yoga的コンセプト。


だから、

“自分の立場を客観的に見て、自分を取り囲む世界にどう対応していくか?”


を常に冷静に、繊細に考える必要がある。

その意味でも、「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」の習慣はいい機会なのです。


そんなことを言うあたくしも、できるだけ周りに迷惑をかけないよう、
半断食の前日は静かにヨーグルトを仕込みながら毎回覚悟を決めているのですよ。


贅沢を言わず、周りの人を心配させず、修行をしているからって偉そうにもせず、

食べないからといって卑屈になったりもしないように。


そんなことまでして行う半断食が「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」!


どうせやるなら、しっかりメリットを得たいものでありますな。


なので、今回は実践してみてこんなメリットがあったといことをお伝えします。



【「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」実践のメリット】


① 少量の食べ物で快適に生きていけることが解るので、将来に対しての恐れや不安が減る。

食べ物に対する心配をあまりしなくてもよくなるので、ガツガツした貪欲さがなくなってゆく。

これが、わかると

Yoga的には『YogaSutra योगसूत्र(ヨーガスートラ)』に記されてい

る実践すべき事の5つ『ニヤマनियम(するべきこと)』の1つ「アパリグラハअपरिग्रह(貪欲にならず、控えめにすること)」の態度が自然と身についてきます。


恐れてガツガツしたり、貯めこんだりする必要が無くなってゆくからです。


② 酒、肉、魚、卵などを食べないことで、「パーパपाप(不徳)」の蓄積を避けることができる。

『ヴェーダ(聖典)』のヴィジョンからすると、

Yogaやスピリチュアルな探求を邪魔する環境や人々という外の障害や、心の悩みや激しい感情、葛藤や無知・迷

いという内なる障害は、私たちがしてきた行いの結果に他ならないという・・

これは、『カルマの法則(行いの法則)』に基づいていて


良いことをすると、よいことが返ってくる。
良からぬことをすると、やはりそれ相応の負の結果が返ってくる。

シンプルでありながら、作用反作用、質量保存の法則のような自然界を司る絶対的な法則の1つが、
『カルマの法則(行いの法則)』といわれています。

この法則に触れている『カルマकर्म(行い)』とは、私たちが自由意志に基づいて判断し、選択してした行いのこと。

自分の自由意志によって判断し、行った『カルマकर्म(行い)』は、どんなにささやかなレベルでも世界に影響を与えている、というのが『ヴェーダ(聖典)』の教えです。

私たちが直接世界に影響を与えている『カルマकर्म(行い)』には、必ず結果がもたらされます。


例えると、私たちがする1つ1つの行い『カルマकर्म(行い)』は、大きな湖に石を投げ込むようなこと。

湖に石を投げこむと、湖は必ず影響を受ける。

水面がゆれ、しぶきがあがり、水絞が遠くまで広がっていく。

思いもしないような遠くへ水絞が届き、反対側の湖の岸に辺り収まったり、別の水絞とくっつきあったりしながら湖

全体の動きが変化する。


同じ様に、私たち1人1人がする行いはどんなに小さくても世界に影響を与えているのです。


さらに、必ずもたらされる『カルマकर्म(行い)』の結果は、2種のタイプにわかれる。



1つは、直接目に見える結果『ドリシュタ・パラदृष्टफल(目に見える結果)』。


もう1つは、行いの結果がすぐには繋がらず、別の『カルマकर्म(行い)』や他人の行いという要素と絡まり合いながら、未来や次の生で形を現す結果『アドリシュタ・パラअदृष्टफल(目に見えない結果)』


未来に影響を与える『アドリシュタ・パラअदृष्टफल(目に見えない結果)』にはさらに2つあり、それを


「プンニャपुण्य्(徳)」、と「パーパपाप(不徳)
」といいます。


簡単にいえば、

気持ちの良い、清々しい、良心に沿った行い、秩序をもたらす行いは、いろいろなファクターと混ざり合いながらも、「プンニャपुण्य्(徳)」として蓄積される。

例えば、やるべきことをしたり、誰かを助けたり、精神的な修行をしたりという『カルマकर्म(行い)』の結果
は「プンニャपुण्य्(徳)」となり、
「プンニャपुण्य्(徳)」は然るべき時がくると、私たちの目の前にラッキーな出来事として形を変えて現れます。

逆に、
暴力、生物を傷つけること、言うに言われぬ行い、誰かをいじめたり、陥れたりというやってから後悔したり、後ろめたさを感じたりする行い。

人としてそれはナシだろう、と思われる行いは「パーパपाप(不徳)」となる。

この「パーパपाप(不徳)」の現れが、障害や不運な出来事、痛みを伴う経験だというのです。

『ヴェーダ(聖典)』に言わせると、私たちの人生の違いはすべて今まで行ってきた『カルマकर्म(行い)』の違い、

「プンニャपुण्य्(徳)」と「パーパपाप(不徳)」の違いだけだといいます。

生きるという事は、

“今までの行いで積んだ「プンニャपुण्य्(徳)」と「パーパपाप(不徳)」を消化し、新しい行いをして、新しい「プンニャपुण्य्(徳)」と「パーパपाप(不徳)」を作り出すこと。


ということは、運の良い、ラッキーがたくさん起こる人生を行きたければ、積極的に「プンニャपुण्य्(徳)」を作り出すしかない!

聖典の定義では

「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」の半断食は

「プンニャपुण्य्(徳)」をつむ『カルマकर्म(行い)』。

肉や魚、卵など「生きたい!」という思いがあり、動き、捕まえる時に逃げたり悲鳴をあげたりするもの(その可能
性のあるもの)を殺して食べることは、「パーパपाप(不徳)」となるのです。

しかも、食として提供している人よりも、生業として売ったり買ったりしている人よりも、

「生物の命を無理やり奪って食べるのは、良くないことである。」

と知りながら、取り続けるエンドユーザーが一番「パーパपाप(不徳)」を積むことになるという・・・


それにプラスして、


良くないとわかっているのに、それに目をつぶって行うしまうことは、小さいレベルで自分の心を分裂させてしまうことでもあるのです。


なので、なんとなくいつも心が晴れない。

後ろめたさを感じたり、自分に対して負の見方をしたり、微妙な罪悪感があったりとか、自分であることに誇りを失

ったり、蔑んだりしてしまったりもする。

できるならこういう心の矛盾も起こしたくはないもの。

それには不運や不幸の原因となる「パーパपाप(不徳)」を積むような行いをさけ、

ツキのある人生を、ラッキーなことが多い人生を生きるために「プンニャपुण्य्(徳)」を積むしかない。

そして、『ヴェーダ(聖典)』によれば、この「プンニャपुण्य्(徳)」は自分の意志と努力でするしかない!

それが実質人生を、運命のシナリオを変えてゆくことになるのです。

すばらしい。

運命に嘆いている暇があったら、どんどん心に良いことと、周りの人や生物のためになることをして運命を変えて

いこうぢゃないですか!

「私の人生は不運ばかりで、悲しい・・・」

なんて言って嘆いている間に、「パーパपाप(不徳)」を避け、「プンニャपुण्य्(徳)」を積んで人生の流れを変えることはできるのだから。

運命は変えていける。


もっといえば、自分の生き様は、自分の意志と選択次第!


私たちは、意志も、選択する力もしっかり携えてここで生きているのだから、


不幸をさけ、運やラッキーは努力で作ることができるのです。


これが『ヴェーダ(聖典)』に基づく『カルマの法則(行いの法則)』のメカニズム。

そして、

Yogaの道にはたくさんの「プンニャपुण्य्(徳)」が求められる。


よい環境やよき師との出会い、正しい教えや、それを理解する自分のキャパシティーを高めるためには、「プンニャपुण्य्(徳)」が必要。


“悟り”なんて仰々しいことを言わなくても毎日をいかに爽やかに気持ち良く、他人を受け入れ、自分に誇りを持って生きられるか?


それも「プンニャपुण्य्(徳)」の有無にかかっている。


自分の意志と努力によって作り上げた「プンニャपुण्य्(徳)」の結果が、Yogaの達成として実るのです。


そもそも、現時点でYogaに出会い、Yogaをしているということも「プンニャपुण्य्(徳)」が実を結んだ結果だといわれ

ています。

が、さらにYogaを深めるためにも「プンニャपुण्य्(徳)」は積んでおきたいものです。

「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」を実践するメインの理由はここにあります。

さらに!

*消化にいいものを少量食べることで、体が快適に軽くなる。動きやすくなる。

*早寝早起きの良い習慣
が自然となる。

私の100%主観に基づく個人的な結果からいうと、


実践して半年くらいで5Kg体重が減りました。
それも苦しくなく、我慢することなく、むしろ快適に。


さらに睡眠時間が少なくても済むようになりました。


ウィークデイは4-5時間で、週末5-6時間寝ればもう大丈夫。

それだけ、消化などで体が無駄なエネルギーを使わなくなって、熟睡できているからかもしれませんがね。

7-8時間寝ないとムクれていた昔とは大違いです。すごいことだ。

そして、


*瞑想がしやすくなる。Yogaもどんどんしやすくなっていく。


ちょっとメリットを書きすぎたかもしれませんが・・・


実践すればするほど良い習慣であることに気がつくのです。


月に2回、自分と向き合い、自分を大切にする習慣を実践していけたらいいですね!

・・「プンニャपुण्य्(徳)」「パーパपाप(不徳)」についてあれこれ書きましたが、だからといって、

「私は恐ろしく「パーパपाप(不徳)」を積んでしまっている気がする・・・」などと

今の自分に罪の意識を持つ必要はない!

この世で完璧に「プンニャपुण्य्(徳)」だけ積むことをしている人、「パーパपाप(不徳)」のない人なんていません。

それは例え聖者や達人と言われる人であっても同じこと。賢者にも悟りを得た人にも、「パーパपाप(不徳)」はあります。


私たちは、できるだけ毎日、自分にも周りにも良いことを心がけて行えばいいのです。


そしてつらいことがあっても、


「まー今は「パーパपाप(不徳)」を大量消費する時期なんだな~」

と軽く受け止める。

逆にいいことがあっても興奮せず、


「ああ、「プンニャपुण्य्(徳)」がまた一つ実ってるな。」


といって同じ様に軽く受け止める。

客観的に、爽やかに毎日を受け止め、どんなことにも“振り回されない”。

でっかい態度をもち、

広くてポジティブな自分を見失わない心を養う事がYogaの道ですからね~。

というわけで、やるべき事をやっていれば心配無用!!

恐れるなかれ。

次回は、Yoga的生き方をさらにさらに加速させる「जप ジャパ(マントラ瞑想)」や祈り、毎日できる「プージャ

पूज(儀式)」についてお伝えしたいと思います。


*************非暴力ヨーグルトの作り方****************


非暴力ヨーグルト?!


そう、それは、ひっそりと半断食の6時間前以前
「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者、達人)」によって仕込まれるヨーグルトのこと。

作り方をご紹介しましょう。

① ミルクを45度くらいに温める。基準は、指を入れて10秒ギリギリ保てるくらいの温度。
ヌル過ぎても熱すぎてもいけません。ミルクの3分の1くらいを豆乳にしてもよいです。


② 500mlのミルクに対して、大匙1-2のヨーグルトを入れる。で、よくかき混ぜる。

③ お布団やタオルでくるんで、暖かいところに放置。6時間後にはヨーグルトになってますよ。


ん~ん、このマイルドなテイストは、非暴力の味。

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↑ 
これが噂の 非暴力ヨーグルト

しかし、できたぁ! といって嬉しさのあまり一気食いはだめですよ。

次のヨーグルトの種を少し残し、取り分けてから召し上がってくださいましな。

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こうしてできた、ヨーグルトをランチやおやつのために持ち歩いてますよ。

この入れモノは、「カマンダル」といわれる容器。

プリミティブながら非常に優れている。

すばらしい。

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2012年1月13日 (金)

20012年新しいことを始めよう!第1弾Yoga的半断食

ラッキーの元を積みながら健康になる!ガンジーも実践していたフルーツと野菜中心のYoga的半断食のすすめ

月のリズムでYoga的に生きる「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」をはじめてみよう!


**************

毎日Yogaに励む日本の同志の皆さま、2012年は快調にすすんでいますか?

年が明けてあっという間に10日以上たってしまいましたよ。

うーん、信じられん早さだ。

そんな2012年ですが、さらにYogaを深められる年にしたいものですねぇ

そこでっ!

是非2012年から、より本格的にYogaに踏み込み、Yogaライフを快適に良い方向にぐんぐん推し進めるためのYoga的習慣を加えてみませんか?

と、いう気持ちでインドの「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者、達人)」達が実践している習慣を今年から3回シリーズでご紹介したいと思っています。



第一弾は、「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目)」の日にする半断食について。


あのインド独立の父マハトマ・ガンジーも実践していた1つの『ヴェーダ(聖典)』の教えに基づいたYoga的修行方法でもあります。

晩年のガンジーはこの半断食で食べるメニューをほぼ毎日とっていたといわれます。

どんな物を食していたのかというと、

バナナなどのフルーツ、ナッツ、レモンジュース、デイツなどのドライフルーツ

+、オリーブオイルを少々。

というシンプルな食事をとっていたといわれています。


『ヴェーダ(聖典)』に基づくYoga的な半断食「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」では
ほぼこのようなシンプルで軽い食べ物で夜明けから日が沈むまで過ごし
心を静かに穏やかにその日を送るのです。

お酒や夜遊びなどの社交や、TVなどのエンターテイメントで己を忘れるような過ごし方をするのではなく、

むしろ積極的に自分のコアな部分と向き合うために瞑想やYoga、

もしくは沈黙の業などをして多くの時間とエネルギーをスピリチュアルな探求に傾けるのです。




「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」とは、月の動きとともに、実践する半断食。

健康のためというよりは、Yoga的な生き方、スピリチュアルな生き方をする上での自己規律、


別名「ヴラタव्रत(規律、誓い)」 「タパスतपस्(修行)」
と呼ばれる己を正す修行の1つです。


目的は、自分の生活習慣、食生活を見直すこと。


そして忙しい日常から少し変化をつけることで、より多くの時間を瞑想やYoga、祈りのために費やすこと。

さらに、『ヴェーダ(聖典)』に従った考えによると、この日に半断食をすることで
運・ラッキーの元に成る「プンニャपुण्य्(徳)」という徳を積むために実践します。



【「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」をする日】


実際に半断食を行う日は

満月と新月の次の日を1日目=「プラタマप्रथम(月が変化する第一日目)」としてそこから、1,2,3日と順番に数え

11日目にあたる日です。


11日目のことを「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目)」といいます。


ですから、「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」の日一カ月に約2回あります。


この日は厳密に言うと住んでいる地域による月のポジションで決まります。

グローバルスタンダードな「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」

年間スケジュール【ご参考までに】⇒  http://www.eyeofindia.com/services/ekadashi

「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」の日は

月が一番地球に近づく時と、遠くに離れる時の2回。


月が満ちていく時(シュックラパクシャ)は、月が地球から遠くに離れ、海の波が低くなる時。

月が欠けてゆく時(クリシュナパクシャ)は、月が一番地球に近づく時、海が満ちる時。

この日に、いつもの生活習慣・食生活を見直すつもりで半断食をして、体も心も穏やかに静かに過ごし、
Yogaや瞑想、「जप ジャパ(マントラ瞑想)」に集中する。


さらにそれを実践することで、Yogaを極めるために必要な「プンニャपुण्य्(徳)」といわれる特別な徳を積むことができる、という習慣です。


インドでも、生き方を丸ごとYogaにしている「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者、達人)」たちはこの半断食を実践しています。

しっかし、


“断食”

というと、なにやら恐ろしげな響きが漂っていますな・・

「仕事もあるし、生活も忙しいし、断食なんかして、飢えて弱っているばやいじゃないっ!」

とか

「断食なんてすると、ストレスがたまるし、頭痛がするし、体に悪い。」

とお考えの皆さま、どうぞご心配なく。

これは

“半断食”なのです。

だから、全く恐れる必要はなし!無理する必要も、空腹に耐える必要もない。

なんといっても、


“この者は空腹に耐えられない。”


と、『ヴェーダ(聖典)』の一部であるインド占星術に断言された悲しき星の元に生まれたこの私が実践できているのですから。


聖典が言うとおり、私は昔から空腹になると、思考能力を失い、力が抜け、

「もう、ぜ~んぶ、どぉ~でっもい~。は~、どうにでもなればいいさぁー。   あ~砂になりたい」

などと、意味不明なことをぼやきながら、とにかく投げやりになってしまう。


そんな奇病を持つ私が快適に勉強を続けながら、実践できている半断食。

しかも昼間に眠くなったりもせず、体も健やかに軽く大変気分がいい。

さらにさらに、これを実践することで、「プンニャपुण्य्(徳)」を積める。

この半断食はぜひお勧めです。

半断食は日頃メインに食べている食べ物を控える事。

そして、できるだけ軽く、穏やかな心持になるような食べ物を取ること。

コンセプトは、


“いつもと違い控えめに食べ物をとり、料理や食べ物に関してあれこれ費やしている時間をYogaや瞑想、祈りな

ど、スピリチュアルな活動に費やす”ということ。



【「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」で控えるべき食べ物と習慣】

NONONONONONONO


①ごはん、パン、麺、穀物の類

②肉、魚、卵など大地で息をし、動く者の命を奪うような食べ物を取らない.

③砂糖や香辛料や合成化合物がたくさん入っているようなお菓子や工場製品

③お酒、たばこなど精神の状態に変化をきたすようなものを取らない。

④夜遊びや心が過度に興奮するようなことを控えること


NONONONONONONO


これ以外の事をしなければよし。

逆にこの日に取るべき食べ物や、するべき行いは

OKOKOKOKOKOKOKOK

*フルーツや野菜(生をそのまま、絞ってジュースにしてもOK。

もしくは、簡単にゆでたり、素焼きにしたようなもの)


*乳製品(ミルクやヨーグルト、ミルクティーやカフェオレもOK)

*ドライフルーツや木の実(くるみやアーモンド、レーズンなど)

*Yogaや瞑想(とくにマントラを唱える「जप ジャパ(マントラ瞑想)」)、祈りをする。

*聖典や経典を学ぶこと。もしくは、読書や芸術活動(音楽や絵画を鑑賞することなど)して、
自分の内なる資質を高め、感性を養うこと。

食べ物は、時間をかけて料理したり、特別な準備をしなくていいものをとること。

栄養を含みながら、食べた後、体に負担をかけず、飢えや空腹で思考能力が落ちたり、集中力が途絶えないようなものをとる。


そして、

自分の内なる可能性や資質を掘り下げ、高めるような活動をすること。

調理したり、「何食べよっかなぁ~」など迷う時間を、この日は瞑想やYogaや祈りに積極的に費やすのです。

「しっかし、こんな小リスや鳥みたいな食べ物じゃ、仕事にならんよ」

という方。


もうホントに心配は無用。

食べ物は1日に何度食べてもOK。量に制限もありません。


私はクラスの合間に1日6回くらいに分けて食べてます。


まーだからといって、

「バナナ10本一気食いで、くっくっくるしい・・」とか、

「くるみをたらふく食べて胃がもたれる・・」

というのはナシですがね。


瞑想して眠くなったりしない、というのが1つの基準です。

続けていくと量も質も自然にいつもより控えめになります。

コツはお腹がすきすぎる前に少量取り続けること。

ナッツや、ドライフルーツを持ち歩いて3時間くらいの間隔で外出先でも栄養を少しづつ取る。

「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」は1カ月にたったの2回。

この日は、シンプルな食生活、シンプルな生き方をするベジタリアンになって、

自分の体をいたわるようにするのです。



【「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」をするメリット】

*Yoga修行やスピリチュアルな活動を促進させるような「プンニャपुण्य्(徳)」を積むことができる。

この「プンニャपुण्य्(徳)」が形となることで、良き師との出会いがあったりとか、Yogaを実践しやすい環境がもたらされたりするのです。


嘘と本物を見分ける力や事実を理解するキャパシティー、人間的な成熟、落ち着きや寛容さ、さらに、

自分が本当は何を願い、何をするべきなのか?

迷いなく生きる目的を見極めたりする力も「プンニャपुण्य्(徳)」のたまものです。

自分が本当にしたいことをするためには、どうしたらいいのか?

という事に対する答えや術がもたらされたり、道を示してくれるよき師(「グルगुरु(真実を教える者)」と出会うことも

「プンニャपुण्य्(徳)」が形を変えているだけだと、聖典はいいます。


聖典や経典を学び、Yogaを続けるスタミナや、教えを理解できるキャパシティーも「プンニャपुण्य्(徳)」あってこそ。


なので、Yoga実践者にとってスピリチュアルな好条件に変換できる「プンニャपुण्य्(徳)」は不可欠。


それがこの「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」の日に半断食をすることで積むことができるというわけですよ。


そして、もっと素晴らしいメリットは沢山あります。

気になるこの続きはまた次回~

【ガンジーの食事、 インド独立の父マハートマ(偉大なアートマー)ガンジー師が取っていた食べ物】

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典型的な「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」のメニュー。

フルーツや木の実、ヨーグルトや、ミルクなどの乳製品。

力が出ないときは、天然のはちみつなどもOK.

これは、ガンジーの食事を再現してみましたよ。

バナナ、ナッツ、オリーブオイル、ヨーグルト

その他にレモンジュースやはちみつもとっていたといわれます。

こういう食事でも皆の良きことのために力を尽くし、情熱とスタミナを失わず偉業を果たすことができたのですね。


月に2回だけでも、彼の生き方を見習うために

「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」を

続けていこうと思います~


ちなみに、次回の「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」は1月19日です!

一緒に実践してみませんか??

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2012年1月 3日 (火)

2012年、あけましておめでとうございます。

2012年から始めるYoga的生き方、予告編

世界と繋がり、自分に誇りを持ために。~新しいYoga的習慣を始めよう~


あけましておめでとうございます。

今年もめでたくインドで年を越すことができました。

ご協力いただいている皆さま、本当にいつもありがとうございます。

しかし、
ここ南インドでは、太陰暦、月の暦を使っているために、グレゴリオ暦の1月1日にはあまり思い入れがないようなのです。

なので、町全体が、

「おっ正月、おっ正月♪」

というようなワクワクした雰囲気はまるでない・・

いまいち新年を迎えている感がないのですよ。

ちなみに、私のいる南インド・タミルナードゥ州では、
新年というのは
“月が新しいポジション(牡羊座に入る時)に入る時”とされ、太陽暦の4月がお正月となるそうなのです。

まあ、それでも、2日前の1月1日は、このアシュラムでもお寺で朝3時から準備がはじまり、4時には『ヴェーダ(聖典)』に則った盛大な「プージャपूज(儀式)」が行われました。


それは朝から永遠と昼すぎまでかかるという、それはそれは壮大な儀式でした・

忘れもしない!

昨年はこの儀式にすべて参加していたため、終わったとたんに発熱し、気がついたら1月3日だったという得難い経験をしましたのです・・・


“徳”「プンニャपुण्य्(徳)」を積むのは楽じゃないですな。

そんなわたくしも、1月1日の朝は
今年の願をかけるべく、まずはじめにガンジス川の水をミックスした湯をあびて、お寺にいきました。

今年一年の抱負を立てるべく「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」をしました。

その後は「जप ジャパ(マントラ瞑想)」をして気持ちを集中させることに努め、新年をスタートさせました。


『ヴェーダ(聖典)』の教えによると、

何かを始める時物事を滞りなく達成するために「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」という誓いを立てることが大事だ、といいます。


「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」というのは、いわゆる“誓い”。

Yoga的な誓いのテクニックともいえるし、“誓いをたてる”という儀式の1つということもできるでしょう。

このYoga的誓いといってもいい「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」をするメリットは2つ。

その1・自分の意志をはっきりさせることができること。
その2・誓いを叶えるために、運を味方につけることができるということ。


行いをする個人と、行いを支える全体世界の意図を一致させることで、
物事をスムーズに、然るべき方向にすすめていくことができるといわれるのです。

だから、何かをしようと決めたら、まず「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」を立てること。

それは実際に事を実行に移すのとの同じくらい大事なことだと言われているのです。

「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」で、自分の意志を言葉によってしっかりと表明する。

自分自身と世界にむかって、

こういう風に今年はやっていこう!

ぜひ、○○を毎日続けよう。

今年はこれを必ずやろう!


というように、意図をはっきりした言葉で言い、宣言する。


それによって、自分自身が迷ったり揺らいだりすることが非常に少なくなるのです。


そして、これは『ヴェーダ(聖典)』的な解釈ですが、

世界に対して言葉と思いを使った行いを放つことで、世界を動かしている目に見える法則、目に見えない法則、

そのどちらにも働きかけることができる、といわれています。

そのことで、成功への見えないファクター、いわゆる運・ラッキーといわれる沢山の隠れたサポート、ヘルプを

自分に引き寄せることができるといわれているのです。

インドでは、どんな儀式の前にも、個人的にする瞑想やYogaの前にも、かならず「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」を立てます。

なぜ?


なぜなら、それが有効だからです。

効果を出し続けている方法だからです。

自分でも確かめましたが、不思議なことに、びっくりするほど、結果が出るんですよね~、


何かをしたい!

という願いや意図を言葉にし、気持ちを固め、体を使って「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」という形の行いにする。

そうすることで、ぼや~っと物事をスタートさせるのとは覚悟をいうか、真剣実がおそらく変わっているのでしょう。

そして、小さいながらも世界に大宣言!
しているわけですから、

運・ラッキーと言われる目的達成に不可欠な“世界を動かすファクター”にやっぱりダイレクトに働きかけているようなのです。


「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」の方法は、
左手と右手の手のひらを重ね、右腿の付け根に置き、目を閉じ、マントラを唱えてから
心の中で抱負や誓いを宣言をする。

おそらく、これらの動作とマントラに秘められた力が、人の願いと祈りという言葉と行いを伴う事で、
炸裂するのでしょう。


そのメカニズムは不明ですが、とにかく自分の思いを具現化するのに有利に働きます。

このように『ヴェーダ(聖典)』には、

どうしたら私たちが願いを叶えられるのか?


そのためにはどうすればいいのか?


という事に対するノウハウが沢山記されています。


それがマントラだったり、伝統的な儀式だったりするのですが、独特の音、言葉、形式や動作という形を『ヴェーダ(聖典)』は私たちに教えてくれているのです。

さらに目的に沿った瞑想や儀式のやり方も教えてくれています。

たとえば、天国にいくための瞑想法とか、よりよい未来を手に入れる儀式など。


やり方だけではなく、どんな日に、どのタイミングですればベストか?

という事も教えてくれているのです。

それもものすごく緻密に。


そして『ヴェーダ(聖典)』のすごさは、何千年も前に記された教えは、現在でも力を持ち、有効であるということ。


だから今でも沢山の人々に、毎日マントラは唱えられ、儀式は繰り返されているのです。



さて、

その『ヴェーダ(聖典)』が提唱するYogaの力をUpさせるのにふさわしい日、
スピリチュアルの探求を始めるのにベストとされる日がもうすぐやってきます。

月や天体の動きから、我々Yogaを志し、スピリチュアルな探求に踏み出している者が、何か新しく修行や良い習慣を始めるのにベストなタイミングとされている日があるのです。

それが、


「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」。

月の暦で、一番目の新月にあたる日が「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」。

2012年は、2月20日。

Yogaの知恵を初めて人間に教えたのが、「シヴァशिव」という存在です。

「ラートリरात्रि」とは、夜のこと。

古の言い伝え、神話の中では、この日に「シヴァशिव」が世界を猛毒から守ったといわれています。


「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」とは、「シヴァशिव」を祝福する日なのです。


「シヴァशिव」とは、一般的には「Yogaの神」として知られています。

破壊の神でもあり、死と時間を司る者として有名です。


この「シヴァशिव」いう音自体は“祝福”という意味があります。


また「シヴァशिव」という言葉には、

“世界を1つの方向に推し進める力である時間を司る者、

世界のすべてを1つにする法則の象徴”

という意味が含まれています。

その力と法則をシンボライズした音が、“「シヴァशिव」=破壊の神、Yogaの神”、といわれたり、あの独特な形だっ
たりするわけですね。

Siva2

↑あの独特な形・・

私たち「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者)」にとって「シヴァशिव」は、Yogaを初めて人間に伝えた大事な存在

だからこの日に積極的にYogaや瞑想、精神的な探求を見直したり、スタートさせることで、「シヴァशिव」を祝福を受けることができるとされているのです。


インドでは沢山の人がこの日に出家したり、

マントラを先生から授かったりします。

Yogaや瞑想の練習や新しい良き習慣を深めるためにも、2月20日に気持ちを新たに自分のマントラをもったり、


本格的に瞑想を始めたり、

生き方としてのYogaをスタートさせてみようじゃないですかっ!

というわけで

今年2012年は、この「シヴァラートリशिवरात्रि(シヴァ神の夜)」の日に合わせて帰国します。


一緒に瞑想や儀式をして、より深いYogaの探求を始めましょうね。


そして今年はどんどん自分を開いていく年。

なので、なんでも疑問やご質問があればじゃんじゃかしてください。


では2月までお互いに励まし合い、磨き合いましょうな~


*********** 2012年の目標 *******************


① 毎朝欠かさず瞑想をする。寝る前の「जप ジャパ(マントラ瞑想)」を習慣にする。

②広く大きな心と優しさを持つためにYoga的ライフスタイル「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」を常に実行する。

好き嫌いに関わらず、“自分が成長できること”をどんどんやる。


③サンスクリット語のテキストをまとめる。

④『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』と『バガヴァッドギーター』の原文を暗記する。
そして、やさしい日本語に翻訳する。

⑤世界と自分をもっと深く信頼するために、真摯な態度で祈りと儀式を続ける。

***************************************

この5つです。


究極の自由と幸せであるYoga的ゴール「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」を祈る時の方角は北。


皆さんも、スピリチュアルな願いを世界に託す時はぜひ北を向いて!


私も毎朝北を向いて「サンカルパ  सङ्कल्प(誓い)」をしておりますっ。


さらに!!

新年改まって、わたくしめはブログも進化させたいと思っています。


手始めとして、来週から【2012年Yogaに生きるシリーズ】3弾を書きたいと思っています。

今年から“新しく始められるYoga的習慣”を3回シリーズで日本のYoga仲間、「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者)」達にお知らせしたい!

という望みを叶えるべく以下記しておきます。

☆☆☆☆☆☆☆☆


20012年 新しいことを始めよう! 第1弾Yoga的半断食


① 徳を積みながら健康になるフルーツと野菜中心のYoga的断食

「エーカーダシーएकादशी(満月新月から11日目の半断食)」をはじめてみよう!



2012年 新しいことを始めよう! 第2弾Yoga的瞑想


② 集中力UP,平和で落ち着いた心を持つために1日10分「जप ジャパ(マントラ瞑想)」を習慣にしよう


2012年 新しいことを始めよう!第3弾Yoga的祈り

③ 恐れや不安をなくし、世界と繋がる。
自分自身に誇りを持つために『ヴェーダ(聖典)』のな「プージャपूज(儀式)」をはじめてみよう

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

う~む、


また自分を追い込むように、ついうっかりタイトルを掲げてしまった。


以上。

もはや引き返せんので、しっかり書きまする。


こうご期待!!

皆さま、今年もどうぞ宜しくお願いします。

Cimg1692


生まれたての子牛と母牛と、お昼ご飯用に母牛のミルクをもつ私。

母牛は自分が振り絞ったミルクが気になってしかたがないようで・・

いつもお世話になっています。


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2011年12月28日 (水)

<Yoga的心の浄化_瞑想の前にする準備⑤ 恐れに向き合う。LAST>


『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』の態度で毎日をYogaにする


他人との比較や競争の中で、小さな勝ち負けを気にしたり、小競り合いに夢中になっている場合じゃない。

もっともっと、大きなビジョンをもって、大きなスケールで、でっかくしっかり生きていく。

世界と繋がる自分。

世界に行いを放ち、世界からもたらされたものを受け止める。
世界と『カルマकर्म(行い)』を通して、ダイレクトに関わり、コミュニュケートしている。


自分と世界。
自分の中に広がる世界、世界の中に開かれている自分。


自分と世界、という大きなスケールで、全体世界との繋がりを意識的に深めようとする生き方をしているうちに、

世界と自分はただ1つの真実、という聖典が伝える教えが

「なるほどっ!」

というゆるぎない納得になる。


聖典の示すYogaの教えは哲学ではない。
自分自身の事実なのだ。


だから、聖典の教えは教科書に書いてある哲学ではなく、“まさに自分の事実”として実感できてこそ意味がある。


自分の中に揺るがない真実が確立されることで、私たちはYogaの目的を達成することができるのだ。

私たちが事実を理解した時、
Yogaの語源である「ユジュ √युज्(繋がる)」が指し示している本当のユニオン(繋がり)、ワンネス(ただ1つの事実)が果たされる。


広大な世界と一体である自分を理解するために、私たちは毎日の行いをYogaにする。


何からも離れていない。

すべてと繋がり1つのハーモニーを築いて、1つの大きな世界としてダイナミックに動いている。

だから、何にも恐れない。

自分が世界と離れていないことを知る人が、一体何を恐れるというのだ?


どんな恐れも、原因は何か自分と離れているものがあるという思いと認識から起こっている。


私たちが無垢なベイビーだったとき、世界なんてまるで恐れていなかった。

自分がすべてで、“自分で在ること”そのものが世界だった。


しかし、それは無知ゆえの祝福。

あれから何十年もたって、細々したことをたくさん知り、沢山の人や関係に揉まれているうちに、私たちはすっかり自分であることに自信を失っていたりする。


状況や関係に恐れを持ち、不安や孤独になっていたりもする。


恐れから、自分を世界をから守ろうとして壁で囲えば囲うほど小さな自分が浮き彫りになってしまう。


目の前の些細な出来事にとらわれているうちに、自分が何者かわからなくなっている。


初めから私たちは、自分自身であるだけで満ち足りていたはずなのに。

世界と離れることなどないという、事実はどこにも隠れたりしていないはずなのに。

それでも、毎日深く眠る時、私たちは世界に対して“無敵な自分”を実感している。

私たちは深く眠る時何も恐れない。

なぜなら、自分と離れているものなど何もないから。


しかし、一度夢の世界の住人になったり、目覚めて沢山の人々と関わる世界に生きると、
私たちは恐れ、不安になり、“自分で在る”ということだけで感じていた安心や心地よさを見失ってしまう。

本当の意味で目覚めている人は、沢山の物や人々に囲まれながらも、様々な状況にいながらも自分自身であることに納得しリラックスしている。

自分自身である以外に、差し迫った欲求やプレッシャーがない。

心地よさやリラックスを自分であること以外に求める必要がないのだ。


「シャンティशन्ति(平和、静寂)」という言葉で表現される“心地よさ”。

静寂、静けさ、落ち着き、平和、自由とは自分自身の事であると知っているから、どんな時もゆったりと世界に寛いでいる。


世界や事実が見えていない深い眠りや瞑想状態に逃げ込む必要もない。

意識をはっきりさせながらも、何も恐れない。

世界と自分が1つであることを知る者は、大きく広い世界と1つである自分に寛ぎ、自分であることを喜んでいる。


ビクビク不安になったり、セコセコ守ろうとしない。

コソコソする必要も、ガツガツすることもない。


ドンドン前に前に進む必要もなければ、ウロウロ迷う事もない。

自分自身であるがまま、堂々と世界に立っている。

誰がいようと、どこにいようと、何をしていようとも関係ない。

自分の真実が何かを知り、自分が何者であるかを理解し、自分であることに誇りをもって、生きている。


何が起ころうと世界はあるようにある。

ただ1つの秩序でダイナミックに今、この瞬間も休むことなく巡っている。

この事実を受け入れて、うろたえることがない。


Yogaはこんな風な大きな人間へと成長する道であり術なのだ。

事実に基づいて、強く揺らがない心と態度を養うための方法、手段といっていもいい。

ちなみにサンスクリット語で、方法や手段は「サーダナसाधन(方法、手段)」という。

Yogaは自分自身であることを認めるために生きる方法、「サーダナसाधन(方法、手段)」なのだ。

「アーサナआसन(姿勢、Yogaのポーズ)」や「プラーナーヤーマप्राणायाम(呼吸法)」はもちろん、生き方の態度を改める「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」も、
すべてYogaは私達が本当に望み、欲しいと願っていることに繋がるための「サーダナसाधन(方法、手段)」である。


『バガヴァッドギーター』という経典は、
瞑想の前に、もしくは瞑想をしながら、同時に世界に対する態度を改めることが不可欠だという。


常に、客観的に、広い視野で物事をとらえること。

誰のことも恐れずに、自分であることに誇りを持つこと。

その過程で怒りや嫉妬や悲しみが起こるかもしれないが、それはそれでよしとする。

そんな感情にすら囚われない。


怒ってしまっても、嫉妬しても、それは自然の法則の中で起こるべくして起こっているのだ。そういう感情は湖の波
のように、現れては消える。

だから、こだわりもしない。

失くそうともしない。


ただ現れて消える感情を放っておこう。


体に起こること、心に起こること、世界に起こることを客観的に受け止められるゆとりと広さを持つ大きな自分になるために毎日のYogaはある。


行いと結果に対する態度を変える「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」が、私たちに深い瞑想ができる心の質をもたらす。

変えられることは意志と努力で、とにかく頑張って変えるように努める。

変えられないことは、ただ受け入れる。

変えられることと、変えられないことを混同させて迷ったりしない。

この2つの違いを見極められる知恵と賢さを祈り、落ち着いて物事を見るための質を養うために同時に瞑想の練習も続ける。

賢さや分別ある判断のための落ち着きを得るために瞑想はあるのだ。


「カルマヨーガकर्मयोग(行いのYoga)」と瞑想。

この2つのYogaのメソッドは、まるで2つの羽のように、両方バランスよく準備する必要がある。2つの羽がきちんと揃って、大きく広げられたとき、私たちは初めて全くの自由である大空に飛び立つことができるのだ。

やるべき事をする。自分に課されたことをこなす。

咄嗟に計算して、行う事を怯むこともあるけれど、歯を食いしばってもやってしまおう!

結果なんて気にしない。


その時、たとえ“自分の物”と思っているものが奪われたとしても、恐れない。


時間も、持ち物も、質も、お金も、力も、大切に抱えているものも、いつでも世界から必要とされたら放っていけるようにしたい。

何かが奪われたようにみえるかもしれないけど、大丈夫。
ビクつかない。


実際私たちは何も奪われていない。

奪われるものなんてない。


なぜなら、初めから自分のものなんてないのだから。

世界を信頼して、世界の為すがままにしておこう。

そして、自分が世界に対して築いていた壁をどんどん低く、薄くしていこう。


壁の高さは、不安の大きさだ。

壁の厚さは、恐れの現れだ。

もっと世界を信頼して、自分を解き放っていきたい。

今までの習慣で、何かを差し出すことや、奪われるような気がすることは、とても怖いと思うけど、きっと大丈夫だ。


Yogaは、必ず大きい心へと成長できる道なのだから。

『ヴェーダ(聖典)』の1つ『サーマヴェーダसामवेद』がいう。



「束縛を超えよ。苦しみを超えよ。悲しみを超えよ。

もし、本当に超えたいと望むなら、与えよ。
”自分の、自分だけのもの“という考えから、解き放ってしまうがいい。

与えることでのみ、人は大きくなれる。」


与えるのは、自分の持ち物かもしれないし、時間かもしれない。

能力やキャパシティーかもしれない。


なんにせよ離せるものはどんどん放っていくがいい、と聖典は言う。

あげられないキャパシティーの狭さは、あげることでしか大きくすることはできない。

小さい心は、不安で囲ったり、しがみついたりしている思いを放つことでしか、広く大きく成長させることはできない。

泳ぎたいと思う人は、まず水に入らなければならないように。

いくら最高のコーチを雇っても、泳ぎたいと思う人が水に入って動いてみないことにはどうにもならない。

丘の上で、布団の上で、いくらいい教えを聞いても、水に飛び込まない限り100年たっても自由に泳ぐことはできない。


同じ様に、世界と自分が離れていないという聖典の事実を知り、内なる恐れから解放されるためには、まず壁を壊し、大きく広い心をもつ努力をしなければ、永遠に小ささから成長することはできない。


多分そのプロセスは必ずしも楽で楽しいことばかりではないかもしれない。

時には、涙と共に、歯を食いしばっても差し出さなければならないこともあるだろう。

それでも大丈夫。

同じ道をたどって、多くの人が苦悩と悲しみの海を超えていった事実がYogaにはある。


伝統と歴史と、今生きている聖者たち、「ヨーギーयोगी(Yogaの実践者、達人)」たちがこの方法の正しさを証明している。

Yogaの道は、必ず自由へと続いている。

あげる、与える、解き放つことで大きい人間へと成長していく。

内なる恐れから自由になる。


楽チンなことばっかりして、成長できるはずがない。


筋トレがギリギリの負荷をかけることでトレーニングの効果を発揮できるように、
心の成長、心の浄化も、時にハードなことをこなすことで効果を発揮する。


だから、
Yogaを含むスピリチュアルな探求は、お気楽ご気楽ではいられない時もある。

自分自身に違和感がなくなるまで、そして変えていけることがあるのなら、時に苦しくても意志と志を強くもってやりぬく。

それは絶対に、私たちが一番望んでいることに繋がっている。

これから私は、毎日毎日誤魔化すことなく自分を成長させることができることを選んでやっていこうと思う。


自分の持っているものなんて、じゃんじゃかあげてしまいたい。


******


さて、というわけで、私は今から掃除にいきます。

やることがギュウギュウで本当は1分の時間も惜しいけど、これはやらなければならないことだからやろう。

時間も力も、必要とされているなら、もう怯まず出してしまおう。

「奪うなら、奪うがいいさ。ハハハッ」

ああぁぁ・・・

そうやって眠る時間がどんどん短くなっている日々ですが、

倒れない程度に頑張るのみですな。

ではでは、

皆さんどうかよいお年を!


今年も一緒にYogaをして成長する旅を共に続けられたことを嬉しく思い、
心から感謝しています。


どうぞ来年も、宜しくお願いします!

<2011_終わり>

*****************

実は昨日(12月25日)クリスマスの朝に、子牛が生まれました。

お母さんは24日の夜中3:00から頑張って、生まれたのは朝7:00


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驚いたのは、元気よく生まれた子牛が、いきなり立ち上がったこと!
信じられん。
数分後には、歩いたりもしている・・

すごい牛。牛すごすぎる。

↓すごすぎる生命力の牛と、お産を手伝った牛飼いのおじちゃんと。
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インドでは、牛は神聖な生物。

食べ物ではないのです。
実際、食べるなんていう発想すらないと思われる。

ビーフストラガノフだの、ビーフバーガーだの、とんでもない話なのですよ。
この牛たちの静かな佇まいや、澄んだ目をみてしまったら食するなんてちょっと考えられんのです。

牛は食べるものではなく、逆に、私たちに栄養を与えてくれるもの。

ミルクやヨーグルトという体を養う栄養を与えてくれる貴重な存在。

Yoga的ベジタリアンにとっては、ミルクやヨーグルト、チーズは大切な栄養源ですからね~。

クリスマス生まれの子牛が飲みきれなかった分を、私たちは頂くのであります。


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お母さん牛に怒られないように、へっぴり腰でなでなでするあたくし。

それにしても、完全に腰が引けてますな。

これが、2011年の最後の写真だとは、まだまだ修行の余地あり!

来年に期待!!

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2011年12月11日 (日)

<Yoga的心の浄化_瞑想の前にする準備④ 恐れに向き合う。>

毎日していること。
今やっていること。

すべての行い=『カルマकर्म(行い)』を、Yogaにする。

自分の態度が変わる事で、普段の行いのすべてがYogaになる。


やっていることに変わりはない。
やるべき事にも変わりはない。

どういう態度でするのか?

態度が変わるのだ。
この態度の変化が『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』と呼ばれる。

では、どんな風に変えるのか?

それは、『カルマकर्म(行い)』に対する2つの側面の態度を変えること。

1つは、世界に対して、自分が放つ行いに対する態度。

私たちには、みんなそれぞれ毎日しなければならないことはある。
それはどんなことでも、世界を巡らせる法則と秩序によって自分の元に運ばれている。

自分に与えられている課題は、自分によって為されなければならないこと。
この事実を理解して、やるべき事から逃げることも、誰かに投げることも、誰かの役割を奪ったりすることもしない。


私たちは、
「自分が一番大変な思いをしている!」とか
「なぜ自分だけが、こんなことをせねばなるまい?」とか、思いがちだ。

しなければならないことに対しては、いろいろな思いがつきまとう。


しかし、『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』の態度とは
この「なんで自分だけが・・・」
とかいう、ムニュムニュでてくる不平不満を言わずに、自分の前に来た事は潔く受け入れること。

爽やかにしなければならないことをしよう!とすること。


やるべきことから逃げず、かといってガツガツ追い掛けもせずに、

「自分に与えられていることだからするのだよ、」

という淡々とした態度で受け止めて、しっかりとこなす。

自分の主観をのせずに、ただひたすらやり通す。

自分によって、為されなければならないことだから、やる。


不安や不満を満たすために行いをするんじゃない。

内側から湧きおこるプレッシャーや貪欲な気持ちに動かされ、押し出されるように行いをするのではない。

今、やらなければならないことだから、世界に求められていることだから、するのだ。


サラサラと世界から突きつけられた課題を受け止めて、こなしていく。

こんな風に自分に突きつけられた課題、やるべき事を受け止められる態度が

客観的な『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』の態度なのだ。

そして行いをするということは、課題を与えてきた世界に行いを放つだけ。
もっといえば、捧げるだけ。


自分の「こうしたい、ああしたいよぉぉぉ~」という不満げな意図を孕まずに、さっぱりとやるべきことをする。
それが、行いをすることに対する『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』の態度。


『バガヴァッドギーター』では、行いに対する態度のことがYogaの大事な側面であるといわれる。


「योग: कर्मसु कौशलम् ヨーガ カルマス カウシャラン」
Yogaとは行いをこの世界の法則と秩序に捧げる事である。

『バガヴァッドギーター』2章50


そして、自分が放った『カルマकर्म(行い)』には、必ず相応の結果がやってくる。

この結果に対しても抵抗しないこと。

あれこれいい訳をしない。
ただ、受け止める。

結果として何が起ころうと、否定せず、抗わず、有頂天にならず、自分を中心に起こっている、あるがままを受け止めてみる。

世界から与えられる結果は、自分の意志では何もすることができない。

純粋に自分がしたことに対する結果でしかない。
変えることも、キャンセルすることもできない。

自分のした行いが、世界の100%平等な法則を通って返されてきたものが、“結果”なのだ。
それにいちいち意見したり、逆らわない。

どんな結果も世界が完全な秩序の元に返してきている。だから結果にこだわらない。


受け入れて、受け流す。

そして、次の課題に向き合う。
明るく、強く、でも自責や後悔を作らずに前へ進む。

これが行いの結果を受け止めることに関する『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』。

結果として何がもたらされても、心を揺らさずに受け止めることができる。
この態度は『バガヴァッドギーター』でも、『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』のもう一つの大事な側面として記される。


「समत्वमं योग उच्यते स्サマットヴァン ヨーガ ウッチャテ」

「『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』の最も大事なポイントは、何が行いの結果としてもたらされても多かれ少なかれ、大体同じ様な客観的な態度で受け止めることである。」

                  『バガヴァッドギーター』2章48


『カルマकर्म(行い)』をYogaにするということは、

“自分がする行いに対する態度”

“放った行いの結果に対する態度”

この2つの側面からみた態度を変えるという事。
それが『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』なのだ。


行いと結果に対するこの態度は、私たちを苦悩の中心から解放する。

なぜなら、苦悩の中身は、

“後悔、自責、期待はずれからの落胆、悲しみ、怒り”など、
自分の“行い”とその“結果”に対することがほとんどだからだ。

行いとその結果に対する客観的な態度でいることは、行いの結果に対して「失敗や成功」というレッテルをはって、イタタマれない思いをもったり、自分や他人や状況を責めることから自由になるということ。

「どうして自分だけ、こんなに大変ばかり起こっているんだ?!」と
悲劇のヒーローになったり、他人を羨んだりすることから自由になるということだ。

皆が「自分だけが一番大変、大変な思いをしている・・・」と、考えがちだが、それは違う。

皆同じ様に、行いと結果の『カルマの法則(行いの法則)』に繋がれ、
それぞれ各自が自分に課された問題と向き合い、越えなければならない課題に取り組むようにして生きている。


特別な人などだれもいない。
だから他人を羨んだり、嫉妬したりは意味がない。

行いに対すること、結果に対すること
2つの側面からの自由を、『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』は『ドリシュタ・パラदृष्टफल(目に見える結果)』としてもたらしてくれる。

こんな風に心の持ち方を変えることで、私たちは日々の行いをYogaにすることができる。


Yogaによって、自分の願望をたっぷりのせてみている主観的な世界観を、客観的で冷静なものにする。

その心の在り方、ありのままをありのままに受け止められる広い心を準備することが、いわゆる“心の浄化”でもある。

そのことをYogaでは『アンタッカラナ・シュッディअन्त:करण शुद्धि(心の浄化)』と呼んでいる。


心の浄化とは、自分の中からいろんな不満や怒り、嫉妬や不安などの違和感を失くすこと。

後悔や怒りや葛藤から自由になること。

『ラーガドウェーシャरागद्वेष(好き・嫌い)』という主観的なこだわりに目を眩まされたり、翻弄され流されたりしないこと。

本来のYogaの目的、いやもっといえば生きる目的は、

無条件の自由!
半端ない絶対的な幸せ!
それは、自分自身のことなのだ!


と理解すること。
そして自分自身を受けいれ、寛いでいること。

この目的のための、間違いのない手段とは、まず心の小さなグチャグチャした悩みから解放されることだ。

その原因である『ラーガドウェーシャरागद्वेष(好き・嫌い)』に振り回されず、余裕でいられること。

そのために日々の行いと結果に対する態度を改めるのだ。

Yogaにおける高い志を、『ラーガドウェーシャरागद्वेष(好き・嫌い)』という思いの影響によって諦めたり、投げ出したりしてしまわないようにする。

恐れや、小ささ、不満を、外の物を得ることや、何かにすがることで解消することはできないと知ること。

自分を捕えている物や思いから成長する。そのためには、客観的な態度を養っていく必要がある。

そうして『ラーガドウェーシャरागद्वेष(好き・嫌い)』からある程度自由、自分の心の不満に対して余裕ができてきた心に、本当の自分自身を理解するスペース、ゆとりができてくる。


その自分自身とは、手に入れられる物や獲得できる物なんかよりも、ずっとずっと大きい存在なのだ。

大きく広い心を持つこと。
成熟した考えと、物事に対してはさっぱりとした態度をとれるゆとりある心を準備することが、、
『アンタッカラナ・シュッディअन्त:करण शुद्धि(心の浄化)』の意味なのだ。


『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』は『アンタッカラナ・シュッディअन्त:करण शुद्धि(心の浄化)』をしながら
ブレない生き方をする。


変えることができない世界に対して、無駄なチャレンジを試みない。

同時に、変えることができることについては、全力で努力して強い意志の力で変えていく。


行いの結果は世界に任せ、できる努力をすべてだして、世界に行いを放つだけだ。
だから、失敗も成功もない。

大きな世界の巡りと、因果に任せて、その都度自分の元に世界から贈られた課題をこなしていけばいいだけ。
淡々と。しかし着実に。

そうやって肩の力を抜きながら、やるべきことをしっかりやることが、生き方のYogaなのだ。


それによって、私たちは自分の中心に巣食う苦悩から自由になる。

心に充分なスペースとゆとりをつくることができる。


客観的に物事をみて無駄な事をしなくなる。

世界に戦いを挑まない。


挑むのは、自分の意志と行いで変えていけることだけ。

なんて、Yogaは無駄がなくスマートなのだろう!?

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↑月食の前日の夜は、オイルランプを灯して過ごします。 ランゴーリの上に置かれたランプがきれいですな^^
昨日(12月10日)は、月食でしたね。
インド時間では18:15-21:47


影が光を覆う時間”

月食や日食は、インドでは特別な注意を払ってすごさなければならない時間とされます。うっかりお外をウロウロして、月食見物などしないのです。


どちらかというと、“不吉”とされているこの間は、お寺も食堂も、アシュラムのパブリックに開かれている場所はピッチリと締まります。

影の影響を受けないように・・

なるべく部屋からでず、月食の前にシャワーを浴び

「जप ジャパ(マントラ瞑想)」
をします。

月食が終わったら、もう一度シャワーを浴びます。


この日は朝からフルーツとミルクのといった半断食で、体に負担をかけないように過ごします。

パワー、マネーなど、いわゆるマテリアルな追求をする人には“不吉”とされる月食ですが、
スピリチュアルな探求には最適といわれます。

なぜなら、月食の時間は、自分の内なる探求である精神修行を加速させる特別力を得ることができると言われているからです。

なので、Yogaをしている人や、スピリチュアルな探求を志す人は、月食時間中には、「जप ジャパ(マントラ瞑想)」をします。

「जप ジャパ(マントラ瞑想)」は、最も月食の力を効果的に、形にしやすい方法とされているのです。

月食は私たちYogaをする人間にとっては、またとない飛躍のチャンス!


私も昨日はひたすら「जप ジャパ(マントラ瞑想)」をしました。

この「जप ジャパ(マントラ瞑想)」は、インドのスピリシュアル界?では最もスタンダードな瞑想方法。

誰でも安全にでき、効果を得ることができる優れた方法とされています。

「जप ジャパ(マントラ瞑想)」についてもまた、いつかじっくりお話しいたします!

簡単にいえば「マントラमन्त्र」を使う瞑想法ですが
この「マントラमन्त्र」は祝福された日に1つ選び、

“これからこの「マントラमन्त्र」でしっかり瞑想しよう!”

と誓いを立てることで、自分だけの瞑想の道具、心を扱っていく一生の道具にすることができます。


そして「マントラमन्त्र」を選び、誓いを立てるのに最適な祝福された日が、
「シヴァशिव」の日。
来年2月20日に、その「シヴァशिव」の日がやってきます!


その日わたくしは日本に一時帰国いたしますので、マントラを選び、一緒に「जप ジャパ(マントラ瞑想)」を本格的に始めましょう!

ではまた~

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お寺の境内の階段にも1つ1つランプが灯されています。
こんな風にアシュラム中がすべてランプで灯られた、幻想的な夜でした。


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